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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年12月25日説教(マタイ2:1-15、クリスマスの日に)

投稿日:2016年12月25日 更新日:

2016年12月25日説教(マタイ2:1-15、クリスマスの日に)

 

1.御子の降誕と人々の反応

 

・クリスマス礼拝の時を迎えました。今年はマタイ福音書を読んでいきますが、今日読みますマタイ2章は、イエスがお生まれになった時、東方から三人の占星術の学者たちが星に導かれて幼子イエスを礼拝したとマタイは記します「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来た」(2:1)。占星術、今日の言葉で言えば天文学です。当時は占星術が盛んで、人々は天体の異変を見て自分たちの未来を知ろうとしました。アレキサンダー大王が生まれた時、天に異変があり、占星術師(マゴス)が「アジアを滅ぼす者が生まれた」ことを告げたと言われています。また紀元前7年に土星(ユダヤ人の星と言われていた)と木星(王の星と言われていた)が接近して異常な輝きを示したことが文献で確認されており、その現象は794年に一度の出来事であることより、天文学者ケプラーは学者たちが見た星が現れたのは紀元前7年であると計算し、その年をキリスト生誕の年としています。

・マタイは、この星を東方の占星術師たちが見て、「パレスチナに世界を救う王が生まれた」と示されて、その星を追ってユダヤに来たと記します。占星術の学者たちはエルサレムの王宮を訪ねて聞きます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2:2)。「ユダヤ人の王」という占星術師たちの言葉は、ヘロデを不安にしました(2:3)。ヘロデはイドマヤ出身の異邦人であり、ローマ軍の後押しを受けてユダヤ王になりましたが、民衆の支持はありませんでした。ヘロデは王権の正当性を保つためにユダ・ハスモン王家の血を引く女性を妻にむかえますが、彼女が王位を狙っているとの猜疑心にかられ、妻を殺し、妻の親族を殺し、ハスモン家の血を引く三人の子も反逆罪で処刑しています。このようなヘロデですから、占星術師たちの言葉に自分の王位を脅かす者の出現を予感し、不安になったのです。

・彼は「メシアは何処に生まれるのか」と祭司長たちに質しました。祭司長たちはミカ書の預言から、それはベツレヘムであると答えます。ミカは預言していました「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中から一人の君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう」(2:6)。新しい王の誕生を聞いて、ヘロデ王だけでなく、エルサレムの指導者たちも不安を感じたとマタイは記します(2:3)。現状に満足する者にとって、新しい世を招く神の子の出現は不安をもたらしたのです。祭司長たちはメシアがベツレヘムで生まれるとの預言を知り、今またメシアが生まれたとの報告を聞いても、誰も礼拝に行こうとはしません。

・占星術師たちはベツレヘムを目指してエルサレムを出発します。東方でみた星が先立って進み、彼等はイエスとその両親が住む家に導かれ、幼な子を拝し、黄金・乳香・没薬を献げたとマタイは記します(2:11-12)。その後、「ヘロデのもとに帰るな」という啓示を受け、別な道を通って故国に帰って行きました。他方、御使いはイエスの父ヨセフに現れ、「ヘロデが命を狙っているのでエジプトに逃げよ」と指示し、ヨセフはマリアと幼子イエスを連れてエジプトに逃れたとマタイは記します(2:13)。マタイはその後ヘロデがベツレヘムに軍隊を派遣し、2歳以下の男子を全て殺し、ベツレヘムには子が殺されたことを嘆く母親の泣き声が響いたと記します。


2.信仰の視点から見えてくること

 

・ここにマタイが記しますことは、彼が受けた伝承です。その伝承とは、バビロンの占星術師たちがイエスを礼拝するために訪問した、ヘロデ王がそれを聞いて不安になりベツレヘムの幼子たちを虐殺した、危機を告げられたイエスの両親がイエスを連れてエジプトに逃れたという内容でした。現代の私たちは、この伝承が歴史的な出来事であるのかどうかの検証はできません。しかし、そもそも出来事の歴史性を問うことは無意味なことです。何故ならば、マタイは歴史を記述しているのではなく、彼の受けた伝承を信仰の視点から記述しているからです。私たちも、信仰の視点からこの物語を聞くことにします。

・信仰の眼で見て気づくことの最初は、マタイはイエスを「新しいモーセ」として描いていることです。当時メシア出現の期待があり、人々は「モーセがイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放したように、新しい解放者が現れる」と希望していました。マタイは「(イエスは)ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『私は、エジプトから私の子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」と記述しますが(2:15)、これは明らかにイエスこそ、「エジプトから引き出された」新しいモーセ、解放者との信仰告白です。またモーセはエジプト王から殺されようとしますが、神はモーセを救い出され、モーセは解放者としてイスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出します。同じように、ユダ王ヘロデはイエスを殺そうとしてこれを果たせず、イエスは解放者として、人々を「罪から救う」とマタイは告白しています。

・信仰の眼から見て第二に見えてくることは、「神が御子をエルサレムではなく、ベツレヘムで生まれさせられた」ことの意味です。ベツレヘムはエルサレムの南にある「小さな町」です。その小さな町でイエスは生まれられ、小さな町でイエスに対する最初の礼拝が行われました。他方、エルサレムは「神の都」とされた大きな町ですが、その大きな町では誰も新しい王の誕生を喜ばず、逆に新しく生まれた王を殺すための軍隊の派遣が準備されています。30数年後、この町エルサレムはイエスを捕らえて十字架につけます。エルサレムはイエス生誕の時にも、死の時にも、イエスに敵対し迫害を加えた町です。マタイが福音書を書いた80年代、エルサレムはローマ軍によって破壊され、廃墟となっていました。マタイはそこに神の行為を見ています。マタイは、「エルサレムではなくベツレヘムに、人間の都ではなく神の平安の中に、キリストは生まれられた」と言っているのです。

・信仰の眼でみた第三の、そして最も大事だと思われる視点は、イエスを神の子として最初に拝んだのは、ユダヤ人ではなく、異邦人であったとの告白です。神の民とされたユダヤ人指導者たちは、「新しい王が生まれた」との知らせに自分の地位を脅かす存在を感じ、これを殺そうとしました。他方、神の民ではないとされた異邦人たちは「ユダヤに世界を救う王が生まれた」との知らせを受けて、数千キロの道のりを旅して、幼子を礼拝するために来ます。このことを通してマタイは、神はユダヤ人だけの神ではなく全ての人の神であり、イエスの救いは、民族の壁を超えて全ての人にもたらされることを告げています。異邦人来訪の記事の背景には、マタイの教会が既に伝道の対象をユダヤ人から異邦人に向けていたという歴史的な事実があると指摘されています。

 

3.クリスマスの意味を考える

 

・今日の招詞にマタイ2:18を選びました。次のような言葉です。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」。東方からの占星術師たちが新しい王に会うためにエルサレムに来たことは、ユダヤ王ヘロデに不安をもたらし、彼は自分の王位を守るために、兵士たちにベツレヘムの2歳以下の男の子たちをすべて殺させたとマタイは記します。その記事の後で、マタイはエレミヤ書を引用して、子供たちを殺された母親の嘆きの声がベツレヘムにとどろいたと記します。

・ベツレヘムでの虐殺が実際にあったのか、歴史上は確認できません。しかし、自分の王座を守るために妻や子を次々に殺したヘロデであれば、機会があればそうしたであろうことは推測できます。人間の罪が世の闇をもたらします。中国を舞台にした小説「大地」を書き、ノーベル文学賞を受賞したパール・バックは「わが心のクリスマス」の中で、彼女が少女時代に経験した中国でのクリスマスの出来事を記しています。彼女の両親は宣教師で、彼女も少女時代を中国の鎮江で過ごしています。彼女が12歳の時、中国北部で大飢饉があり、飢餓に追われて何万人もの人々が彼女の住む町に流れ込んできました。彼女は記します「朝になると、表門と裏門の前から、毎日のように死体が運び去られた。物乞いに来た人々は、施錠された門に隔てられ、力つきてその場で死んだ。私たちも、だれもが門を開けなかった。それは飢えた人々が畑の大麦を襲うイナゴの群のように、飛び込んでくるに違いないからだ」。

・彼女は続けます「その12才の時のクリスマスに、人々の苦しみにもかかわらず、聖なる日は近くなってきた。キリスト降誕祭の当日、門前に飢えて横たわっている人々の一人に赤ん坊が生まれた。あのベツレヘムの子のように、『宿には彼らのいる場所がなかった』(ルカ2:6)ので、私の母は若い女を門の中に入れた。赤ん坊はわが家で生まれた。その子はしかし、すぐに死んだ。若い母親も生きられなかった・・・赤ん坊は一握りの骨になり、生命の始まりにはならなかった・・・今、自分の国に住み、クリスマスの喜びの中で、私は彼らを想い出す。あの母と子は物乞いではなかった。泥棒でもなく、浮浪者でもなかった。ただ、『身を横たえる場所がなかった』のである・・・クリスマスが来るたびに私はあの母と子を思い出し、改めて誓いを新たにする。彼らは今も生きている。飢えに悩まされ、戸口で倒れて死んでいく、この地上の多くの人々の中に、今も生きているのだ」。

・この悲しいクリスマスの思い出を持つパール・バックは、戦後アメリカ人将兵と東洋人女性の間に生まれ,棄てられた混血児たちを受け入れるための「ウェルカム・ハウス」を建て、小説の印税のほとんどを捧げて、孤児たちの養母になっていきます。日本でも戦後、占領米軍兵士と日本人女性の間に多くの混血児が生まれ、社会問題になりました。そのような出来事がアジアの各地で起こり、子どもたちは混血故に棄てられていきました。パール・バックは言います「私たちも祖先をたどれば多かれ少なかれ混血児です」。マタイは福音書の冒頭に系図を掲げ、その中に4人の異邦人女性たちの名前を挿入しました。多くの私生児、混血児の系図の流れの中にイエスもあることを示すためです。人の罪がこの世に闇をもたらします。この闇をなくすためにイエスは生まれ、十字架に死なれました。その十字架に出会って、少数の人の心は変えられ、闇の中に光をもたらします。

・マタイは福音書の最後に、イエスの十字架刑を見て悔い改めたローマの百人隊長の言葉を記します「本当にこの人は神の子だった」(27:54)。十字架を見て、人は自分の罪を知り、悔い改め、それを通して、心の中の闇が解け始めます。ヘロデは特別の悪人ではありません。私たちの中にも小ヘロデがいます。自分の命を守るために、他の人の命を何とも思わないで捨てる自分がいます。そのヘロデ的存在が、他者のために命を捨てる存在に変わる出来事が起きます。それが十字架の出来事であり、クリスマスはその十字架に死ぬために世に来られたイエスを想起する時です。

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