2015年5月17日説教(使徒言行録18:1-17、この町には私の民が大勢いる)
1.アテネからコリントへ
・使徒言行録を読み続けています。パウロはアテネ伝道を終え、コリントへ移りますが、その時のパウロは大いなる失意の中にありました。彼は後に述懐しています「そちら(コリント)に行った時、私は衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明によるものでした」(Ⅰコリント2:3-4)。アテネ伝道は完全な失敗でした。パウロの説教を聞いたアテネの人々は「ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」(使徒17:32)。精魂込めて語った説教が嘲りと冷笑の中に凍りつく体験を彼はしたのです。それは伝道者の自信を完全に喪失させる出来事です。パウロは失意の中にコリントに移りますが、このコリントで神は大きな祝福をパウロに与えます。それが今日読みます使徒18章の記事です。
・コリントは交易によって栄えたヘレニズム有数の都市であり、アカイア州の州都でもありました。人口70万人を超える世界都市で、そこには多くのユダヤ人が住み、ユダヤ人会堂(シナゴーク)も複数あったと言われています。そのコリントでパウロは生涯の伝道協力者となる、アキラ・プリスキラ夫妻に出会います。ルカは記します「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」(18:1-3)。アキラとプリスキラは紀元49年のユダヤ人追放令により、ローマを追われ、コリントに来ていたようです。ローマの歴史家スエトニウスの皇帝列伝に、「クラウディウス帝は、ユダヤ人どもをクレストスの扇動の下、絶えず騒乱を起こしていたため、ローマから追放した」という記事があります。クレストス、キリスト教徒たちがローマでユダヤ教徒と紛争を起こし、すべてのユダヤ人のローマ追放令が出たのです。この二人は生涯パウロの協力者となります。エペソでも共に伝道し(1コリント16:19)、やがてローマに戻るとパウロの支援者になります(ローマ16:3-4)。
・そのパウロのもとにマケドニアで伝道していたテモテとシラスも合流します「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした」(18:5)。二人はマケドニアのピリピ教会からの献金を携えてきたようです(ピリピ4:15)。そのため、その後のパウロは伝道に専念する事が出来ました。アテネでのパウロは孤立無援の戦いでしたが、このコリントではローマから来たアキラ・プリスキラ夫妻、アンティオキアからの同労者テモテ、シラスも加わり、チーム伝道がなされます。その結果、多くのコリント市民が信仰に導かれました。ギリシア人の有力者ティティオ・ユスト(18:7)、ユダヤ教会堂長クリスポ(18:7)、同じく会堂長であったソステネス(18:17)、市の収入役エラストス(使徒19:22、ローマ16:23)等です。
・ルカは多くの異邦人やユダヤ人たちが洗礼を受けたことを主の導きと理解し、伝道の成果を、「この町には、私の民が大勢いる」と表現します。ルカは記します「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ』。パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた」(18:9-11)。パウロたちは語り続け、1年6ヶ月コリントに滞在し、今後の伝道の中核になる教会が生まれました。
2.天幕造り伝道をどう評価するか
・パウロはコリントでは、平日には天幕造りの仕事に励み、安息日には会堂に行ってイエスの福音を伝えたとされています。当時の天幕は山羊の革から造られていました。今日的に言えば皮革製造業、パウロは職業を持ちながら各地で伝道したのです(Ⅰテサロニケ2:9「私たちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした」)。このパウロの行った伝道方式は「天幕造り伝道」、あるいは「自給・自活伝道」と呼ばれています。この時は、ピリピ教会から捧げ物が与えられると伝道に専念するようになります。このような自給・自活伝道を私たちはどう考えるべきでしょうか。
・日本には7,907のプロテスタント教会があり、教会員数は546千人、礼拝出席者は279千人という数字です。1教会当たりの礼拝出席者は35.3人ですが、礼拝出席15名以下の教会が33.5%もあります(教会インフォメーションサービス調べ)。15名以下の教会の経常献金は300万円以下と推測され、専任牧師を招聘する経済力はなく、多くの教会で牧師は外で働きながら伝道する兼任の形です。日本では否応なしに自給・自活伝道をせざるを得ない状況があります。しかし私たちはこれを否定的に捉える必要はないと思います。教会が小さく、伝道者を支えることが出来ない時は牧師も働き、その後教会が成長して伝道者の生活を支える経済力が与えられれば、フルタイムでの伝道活動に切り替えれば良いだけです。コリントでのパウロのような、臨機応変の柔軟力を教会も牧師も持つべきです。そのためには牧師は神学校を卒業するだけでは十分ではなく、いつでも働ける職業能力、この世でも通用する生活能力が必要とされます。
3.神の摂理の中で
・パウロのコリント宣教はユダヤ人たちの間に賛同と反発の双方の動きを激化させました「彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。私には責任がない。今後、私は異邦人の方へ行く』。パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った」(18:6-7)。この「ユスト」はパウロから洗礼を受けたガイオではないかとされています(ガイオス・ティティウス・ユスト、1コリント1:14)。ギリシア人改宗者でした。また会堂長クリスポも受洗します。ユダヤ人の指導者の中からも受洗者が与えられたことはコリント伝道の大きな成果でした。
・コリント伝道が成功し、信徒が増加するに従い、ユダヤ人たちからの迫害も激しさを増していきます。ユダヤ人たちは、パウロを騒乱罪でローマ総督に告発します(18:12-13)。総督ガリオン(ルキウス・ユニウス)はそれを、ユダヤ教内部の争いであるとして介入しませんでした(18:14-16)。パウロの告発が認められなかったユダヤ人たちは、キリスト教に理解のあった会堂長ソステネに襲いかかり、彼に乱暴します(18:17)。このソステネもまた後にキリスト者になっています。第一コリントによれば、彼はコリント書の共同執筆者になっています(1:1-2「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ」)。
・今日の招詞に1コリント1:26-27を選びました。次のような言葉です「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」。コリントでは多くの市民が信仰に導かれました。多くは貧しい人々でしたが、中には有力者や身分の高い人もいました。またユダヤ人だけでなく、異邦人も導かれました。アテネでのパウロは孤立無援の戦いでしたが、このコリントではローマから来たアキラ・プリスキラ夫妻、アンティオキア以来の同労者テモテ、シラスも加わり、チーム伝道がなされました。その結果、多くの人々が信仰に導き入れられます。コリントの集会は、初代教会の中でも最も活発な教会の一つでした。パウロはこのコリントに宛てて少なくとも4通の手紙を送り(現存は2通のみ、コリント人への手紙1,2)、また4通の手紙(ローマ、ガラテヤ、テサロニケ1,2)をコリントから諸教会に送っています。神はパウロと共におられました。それ故ユダヤ人たちの迫害にもかかわらず、コリントに教会が立てられ、発展して行きます。
・「この町には、私の民が大勢いる」という言葉は、2000年間の教会の伝道を導く光でした。伝道者は、成果が見えない時は、孤独です。しかし、神の民はそれぞれの地に必ずいます。伝道とは、隠されている神の民を見出すことです。私たちはこの篠崎の地で江戸川区の方々を対象に伝道しています。江戸川区の人口は70万人、それに対して教会は17しかありません。仮にキリスト者数が人口の1%であれば、江戸川区には7千人の潜在的なキリスト者がおり、1教会当り411人にもなります。411人の「神の民」が与えられているのに、私たちの教会の礼拝出席者が40名前後であることは明らかに私たちの努力不足があることを示します。
・コリント伝道がどのように為されていったかを再度振り返りましょう。失敗したアテネ伝道ではパウロは孤立無援を強いられましたが、成功したコリントでは、アキラとプリスキラ夫妻、テモテとシラスも加わり、チーム伝道がなされました。その結果、多くのコリント市民が信仰に導かれました。このチーム伝道こそ成功の秘訣ではないかと思います。
・前にもご紹介したヘンドリック・クレーマー「信徒の神学」は語ります「信徒は世にあり、世のもろもろの組織・企業・職業の中にくまなく存在する。その場所こそ彼らの宣教の場所だ。世にあるキリスト者、それが信徒であり、教会はその信徒を助け支える役割を持つ。教会は信徒を通じて、この世にキリストのメッセージを伝えていく。信徒こそが世に離散した教会である」。この教会の将来を担うのはここにおられる信徒の方々の働きにかかっています。教会あるいは牧師はその信徒を助け支える役割を持ちます。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。この町には、私の民が大勢いる」、この言葉を、今年作成を希望している教会ビジョンの、真ん中に立てたいと思います。