江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年3月17日説教(フィリピ1:12-26、苦難の中で喜ぶ)

投稿日:2013年3月17日 更新日:

1.獄中からの手紙

・パウロ書簡を読んでいます。今週は「フィリピの信徒への手紙」を読みます。フィリピはマケドニア州にある港町で、パウロが初めてヨーロッパ伝道を行った記念すべき町です。 キリスト教はアジア(パレスチナ)で始まりましたが、発展したのはヨーロッパです。「福音がアジアからヨーロッパに伝わる」ことがなかったら、その後の世界史は大きく変わったでしょう。パウロのフィリピ伝道は歴史の大きな転換点になりました。そのフィリピで、パウロはリディアという一人の裕福な婦人に出会い、彼女はパウロの話を聞いて、回心し、洗礼を受けます(使徒16:14-15)。やがてこのリディアの家の教会がフィリピ教会となっていき、その後はパウロの伝道活動を支援する教会となっていきます。パウロはフィリピを離れた後、テサロニケやコリント、エペソ等で伝道活動を続けますが、フィリピ教会はパウロの活動支援のためにエパフロディトに託して献金を送り、彼はパウロの助手として働き始めますが、重い病気に罹り、フィリピに帰る事となりました。パウロは帰還するエパフロディトに託して、支援感謝の手紙を書きます。それが「フィリピの信徒への手紙」です。
・パウロはこの手紙をエペソの獄中から書いていると推測されています。使徒言行録19章によりますと、パウロたちがエペソ伝道を始めた時、当地の信仰の中心であったアルテミス神殿の信奉者たちが、パウロたちを「邪教を広める者たち」と告発し、暴動が起きました。アルテミス神殿は古代世界では有数の規模を誇る神殿で、エペソはその門前町であり、多くの人々が神殿参拝客のもたらすお金で生活していました。その生活が脅かされるとして暴動が起きたのです。「新島襄とその妻」(福本武久)によれば、同志社大学が京都に設立された時も(1875年)、「聖なる都を汚す異教の教えを説く」として、僧侶や神官たちによる激しい反対運動が起きたそうです。パウロたちはその騒乱の中でローマ総督府に捕らえられ、投獄されたと思われます。フィリピはエペソに近いので、その噂をすぐに伝わります。教会の人々はパウロ投獄の知らせを聞いて心配したと思います。
・その人々にパウロは現況報告を書きます「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(1:12-14)。パウロは獄中にあって意気消沈するのではなく、喜んでいます。何故ならば、監禁・裁判を通して、異教世界の地位や責任のある人たちの居並ぶ法廷でキリストを述べ伝える道が開かれたからです。通常であれば彼らはパウロの話に耳を傾けなかったでしょう。しかし今は聞かざるを得ません。パウロの宣教こそ騒乱の原因であったからです。法廷での弁明が、期せずして福音の証しになる、パウロはそこに神の働きを見ています。逮捕・裁判という「強いられた受難」が、異教の有力者たちに対する福音宣教という「特権としての受難」に変えられた。パウロはそれを喜んでいるのです。
・パウロは先にフィリピでも投獄されていますが、その時には、フィリピ監獄の看守とその家族が信仰に導かれるという体験をしました(使徒16:25-34)。今、同じ出来事がこのエペソでも起ころうとしているのです。さらにパウロたちが牢獄の中にあっても宣教の熱意に燃えているのを見て、エペソの信徒たちも伝道を活発化させ、パウロを喜ばせました。他方、エルサレム教会から派遣された教師たちは、パウロの不在中に、教派的な宣教活動を強化していたようですが、パウロはそのことさえ喜びます「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、私が福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機から、そうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中の私をいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、私はそれを喜んでいます。これからも喜びます」(1:15-18)。日本にも多くの教派がありますが、どの教派が栄えても良いと思います。伝える私たちよりも、伝えられるキリストの方が大事なのですから。

2.生死を超えた喜び

・パウロは手紙を続けます「どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(1:20)。パウロは裁判の結果、自分が無罪放免されるのか、あるいは有罪として処刑されるのかを知りません。しかしどちらの結果になるにせよ、神の導きに委ねようと考えています。パウロの考える救いは牢獄からの解放とか、外面的な危険からの救出という出来事ではなく、あくまでも永遠の命、究極的な霊の救いだからです。普通の人々にとって「生きるか死ぬか」は大問題ですが、パウロにはそれほどの重要性を持ちません。
・この時のパウロはおそらく50代後半でしょう。平均寿命が40歳前後の当時、「もう十分に生きた」という感慨は持っていたでしょう。「戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜いた」(2テモテ4:7)という思いもあります。彼にとって死は休息であり、キリストと共なる生に入ることでした。他方、自分が死ねばフィリピ教会やその他の教会の行末はどうなるのかという心配もあります。だから彼は語ります「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、私には分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」(1:21-24)。パウロの関心は自分にはありません。

3.キリストのために苦しむ恵み

・今日の招詞にフィリピ1:29を選びました。次のような言葉です「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。フィリピの信徒たちはパウロが逮捕され、裁判にかけられるのをみて、異教世界の少数者である自分たちも伝道活動を続ければ、いつか捕らえられるのだろうかと心配していました。「信仰によって苦難が与えられるのであれば、信仰する甲斐はないのではないか、そもそもキリストを信じる信仰が生きる上で何の役に立つのか」と悩んでいたと思われます。その彼らにパウロが送った言葉が「キリストのために苦しむことも恵みである」という招詞の言葉です。
・パウロは獄中にいます。監獄に捕らえられた者は、普通は、自分は無実であるのに拘束されたと不満を述べ、これからどうなるのかを心配し、どうすれば無罪放免されるかを悩みます。しかし、パウロにおいては、そのような兆候の欠片すらありません。彼は憤慨もせず、落胆もせず、欲求不満にもなりません。何故ならば、彼は自分がこの獄中にいるのは、神がこの出来事を通して、福音を伝えようとしておられるのだと理解しているからです。フィリピ書には「喜ぶ」という言葉が17回も出てきます。2章17説以下でパウロは言います「信仰に基づいてあなたがたが生贄を献げ、礼拝を行う際に、たとえ私の血が注がれるとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。私と一緒に喜びなさい」(2:17-18)。「生贄を捧げるときに私の血が注がれる」、パウロは死罪を言い渡され、処刑されるかもしれない状況です。しかしその状況の中で彼は喜びます。何故、彼は獄中という喜べない状況下にあって喜べるのでしょうか。
・私たちは願いが叶えられなかった時、落胆します。しかし、願いが叶えられないことを通して神が働いておられるのだと知った時、状況は変わります。受験に失敗して希望の学校に入れなかった悲しみは、神が別の道を用意して下さっていることを知る時に新しい勇気に変わります。勤務先が倒産して失業した時、新しい職場を通して神が何かをしようとしておられるのだと受け止める時、失業が積極的な意味を持ってきます。家族関係が破綻して離婚の危機になり、親子関係が断絶して苦しむ時にも、その苦難を通して神の業が進められていきます。パウロは言います「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」(2コリント7:10)です。二つの悲しみがあるのではなく、私たちがどう受け止めるかによって、悲しみがある時には「救いに通じる悲しみ」になり、別な時には「死をもたらす悲しみ」になります。私たちの信仰が悲しみの意味を変えうるのです。
・フィリピ書は私たちに、「苦難の意味」を考えるように迫ります。神はそれぞれの人に、異なった能力と境遇と運命を与えられます。ある人は健康に生まれ、別の人はそうでない。ある人は金持ちであり、ある人は家が貧しくて学校にいけなかった。私たちにはそれが何故か、理解できません。しかし、理解できなくとも良いのであって、私たちは自分に与えられた運命の中で精一杯生きれば良い。それが現実を見つめる「平静さ」という勇気です。人は苦しみに遭って初めて、自分の無力さを知り、弱さを知ります。今まで自分一人の力で生きていると思っていたものが、実は自分を超えた大きなものに生かされている事を知ります。私たちは苦難を通して人間に絶望し、その絶望の中で、暗闇も神の支配下にあり、苦しみが神と出会うために与えられたことに気がつきます。
・先週、フィレモン書をご一緒に読み、パウロの人格がオネシモという一人の逃亡奴隷の生涯を変え、彼はエペソの監督になったと思われることをお話しました。偉大な人格との出会いとのは人間を変えます。日本基督教団議長を務めた鈴木正久牧師は死を前にした自分の気持ちをテープに録音して残しておられます。その中で彼は、死を前にした恐怖がパウロという人格との交わりの中で慰められた体験を語ります「ピリピ人への手紙を読んでもらっていた時、パウロが自分自身の肉体の死を前にしながら非常に喜びにあふれて他の信徒に語りかけているのを聞きました。パウロはピリピ書の中で「死ぬとはキリストの元に行くことだ」と述べます・・・パウロは、生涯の目標を自分の死の時と考えていません。それを超えてイエス・キリストに出会う日、キリスト・イエスの日と述べています。そしてそれが本当の「明日」なのです。本当に明日というものがあるときに、今日というものが今まで以上に生き生きと私の目の前にあらわれてきました」(鈴木正久・病床日記)。
・病気のために生涯寝たきりの人生を送った、水野源三さんは次のような歌を歌いました「もしも私が苦しまなかったら、神様の愛を知らなかった。多くの人が苦しまなかったら、神様の愛は伝えられなかった。もしも主イエスが苦しまなかったら、神様の愛は現われなかった」。人は苦しみや悲しみを通じて神に出会い、神との出会いを通じて平安が与えられます。このことに気づくために、私たちに苦難が与えられるのではないでしょうか。自己のことばかりを考えるから思い悩みが生じるのであって、「自己の苦難よりも大事な問題がある」ことを知った時に、苦難は解決される。パウロは苦しみを通して神の業が為されていくのを見た、だから彼は獄中で喜ぶことが出来た。そのパウロの経験は私たちにも大きな励ましを与えます。

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