1.10人のハンセン病患者の癒し
・ルカ17章には、イエスがエルサレムに向かわれる途上で体験された一つのエピソードが記されています。「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」(17:11)。紀元前10世紀、イスラエルは南北に分裂し、北王国はエルサレム神殿とは別の聖所をサマリアに作り、宗教的にも分離して行きました。紀元前8世紀に北王国はアッシリアに国を滅ぼされ、サマリアの人々は移民してきたアッシリア人との混血になり、南のユダヤ人とは民族的にも分かれてしまいました。このような経緯で、ユダヤ人とサマリア人は反目し合うようになり、ユダヤ人はサマリア人とは交際しませんでした。イエスが育ったガリラヤはユダヤ人の町でしたが、ガリラヤのユダヤ人がエルサレムに上る時は、サマリアを迂回していくのが普通でした。
・そしてイエスがある村に入られると、ハンセン病を患っている十人の人が出迎えたとルカは記します「ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて『イエスさま、先生、どうか、私たちを憐れんでください』と言った」(17:12-13)。この箇所は聖書によって表現が異なります。口語訳や新改訳、新共同訳の古い版では、「らい病を患っている」となっていますが、「らい病」という言葉が差別を伴ってきた歴史があることから、1997年以降聖書協会はこの箇所を「重い皮膚病」に訂正しています。しかし「重い皮膚病」ではわかりにくいので、私たちは「ハンセン病」という言葉を用いて行きます。ハンセン病(ヘブル語ツァーラト)は伝染病として、また宗教的に不浄な病とされて、人々から忌み嫌われていました。そのため、「自分はハンセン病なので近寄らないでくれ」と叫ぶことを義務付けられていました(レビ記13:45-46)。だから彼らは遠くからイエスに呼びかけています。イエスはガリラヤでハンセン病の人を癒されています(5:12-16)。その評判がこの村にまで聞こえ、イエスが来られるという噂を聞いて病人たちがわらをも掴む気持ちで出てきたのでしょう。ハンセン病の人々は一般の人々と一緒には住めなかったので、その村はハンセン病者を隔離した場所だったかも知れません。マルタとマリアが住んでいたベタニア村も、ハンセン病患者のための村だったのではないかと思われています(マタイ26:6)。
・病人の集団にはユダヤ人もサマリア人もいました。それは当時のユダヤ教社会ではありえないことでした。ハンセン病という困難な苦しみが民族差別の壁を破らせ、彼らを一つにしていたのでしょう。その彼らにイエスは出会われました。イエスは彼らを憐れみ、言われました「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」(17:14a)。律法では、ハンセン病を癒された者は祭司の所に行って体を見てもらい、癒されたことが確認されて清めの儀式を行えば、社会の交わりの中に復帰することが許されるとあります(レビ記14:19-20)。
・十人はイエスの言葉を受けて祭司の所に向かいます。これは必死の信仰です。癒されるかどうかもわからないのに祭司の所に向かい始めているのです。その彼らの信仰が彼らの病を癒しました。道の途中で「彼らは清くされた」とルカは記します(17:14b)。ここで病気が癒されたことが「清くされた」と表現されています。病気は罪の結果だと考えられていましたので、清められる事が必要だったのです。さて、病気を癒された十人のうち、サマリア人だけがイエスのもとに帰って来ましたが、他の九人は旅を続けます。癒されたことをできるだけ早く祭司に証明してもらいたい、そうでなければ世間では通用しないと思ったのでしょう。しかしサマリア人は自分の体の清めを祭司に見て貰う前にやるべきことがあると思ったのです。このサマリア人はイエスの業の背後に神を見たのです。ですから彼は「大声で神を賛美しながら」戻ってきたとルカは伝えます。
・サマリア人一人がイエスのもとに戻りました。イエスは彼を見て言われます「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」(17:17-18)。彼ら十人の群れは同じハンセン病であった時は、生活の絆が固く保たれていました。しかし一度病が癒されると、ユダヤ人はユダヤ人、サマリア人はサマリア人に分離してしまいます。サマリア人は一人にされました。しかし彼の顔は輝いています。神に出会ったからです。イエスは彼に言われます「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(17:19)。癒されたのは十人でしたが救いの宣言を受けたのは一人でした。ルカは癒しと救いを明確に区別しています。病気が治される癒しと、神の前に罪を赦される救いが、明確に区別されている意味を私たちは考える必要があります。
2.癒しと救い
・私たちは体の癒し、病気からの解放を求めます。それは切実な願いです。ハンセン病を癒された十人の患者たちは必死に神の憐れみを求め、そして癒されました。しかし、イエスのもとに帰ってきたのは一人だけでした。この話が私たちに語りかけていることは、十人が癒されましたが、救われたのは一人だけだったということです。現代でも同じです。多くの人が病気の癒しや困難からの解放を求めて教会に来られます。そして御言葉に接し、自分を取り巻く困難が今までとは違うように見えてくる経験をされます。貧しいことが必ずしも不幸なことではなく、病気も神と出会うための契機であったと受け入れることが出来るようになり、感謝してバプテスマを受けます。しかし、1年たち、2年たち、最初の感動は薄れ、牧師や教会の人々との人間関係に息苦しさを覚え、次第に教会から足が遠のいて行きます。バプテスマを受けて10年後に教会に残る人は少数です。多くの人が癒されますが、救われる人は少ないのです。
・信仰には、“自我の業としての信仰”と“神の業としての信仰”の二つがあることを前に紹介したことがあります(赤星進「心の病気と福音」)。自我の業としての信仰は、自分のために神をあがめていく信仰です。熱心に聖書を読む、礼拝に参加する、だから救って下さい。救われるために信じる信仰です。しかし、この信仰に留まっている時、やがて信仰は失われます。自我の業としての信仰は、自分の要求が受け入れられない時には崩れていくからです。もう一つの信仰のあり方、神の業としての信仰とは、神によって生かされていることを信頼する信仰です。イエスは言われました「恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12:32)。信仰が “神の業としての信仰”へ成長する時、信仰の崩れはありません。何故ならば全てのことが、良いことも悪いことも、御心として受け入れられるからです。イエスはサマリア人に言われました「立ち上がって行きなさい」(17:19)。サマリア人は神の業に参加するよう召命を受けたのです。彼は祝福を受ける者から祝福を運ぶ者に変えられていったのです。
3.癒しから救いへ
・今日の招詞に、ヨハネ9:39を選びました。次のような言葉です「イエスは言われた『私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる』」。ヨハネ9章でイエスは生まれつきの盲人を憐れみ、彼を癒されました。しかし、そこにいたパリサイ人たちは盲人が癒されたことより、その日が安息日であることを問題にします。彼らは盲人であった人に「お前はあの人をどう思うか」と問いただし、男は答えます「あの方は預言者です」。その後もパリサイ人は繰り返し、イエスの律法違反の罪を認めよと迫りますが、男は引きません「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです」(9:33)。パリサイ人は彼を追い出します。その彼にイエスが再び会われ、「あなたは人の子を信じるか」と問われます。彼は答えます「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのです」。イエスは言われます「あなたと話しているのがその人だ」。彼は「主よ、信じます」と言って、イエスの前にひざまずきます。その彼にイエスは言われたのが招詞の言葉「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」です。
・目の見えない人は、最初はイエスが誰か知りませんでした。だから彼は言います「あの方は預言者です」。しかし、パリサイ人との対話を通して彼はイエスが誰であるか、少しずつ見えてきました。彼は次には「あの方は神のもとから来られた」と告白します。そして最後に、イエスと出会うことを通して、彼はイエスの前にひざまずきます「主よ、あなたこそ救い主です」と。この人はイエスから二度目を開けてもらいました。一度は肉体の目を開けてもらった時、二度目は心の目を開けてもらった時です。癒しは「神の憐れみのしるし」であり、この「しるし」から「信仰」に至らなければ、救いはないです。
・イエスとの出会い方はいろいろあります。生まれた時からという出会いもあれば、死ぬ間際での出会いもあります。人生とは何かを考えることを通して出会うこともあれば、病気を通して出会うこともあります。問題は出会い方ではなく、その出会いを通して起こった何かに対する私の決断です。私の決断がなければ、その出会いはそのまま消えてしまい、私の人生に何も残さないままに終わります。今日の物語の九人はそのような人たちでした。せっかく与えられた出会いが一過性で終わってしまったのです。しかし一人だけは違いました。その出来事が単に彼の病が癒されるというだけに留まらず、生き方そのものの変革につながりました。神の力がハンセン病の十人を癒しました。しかしサマリア人の決断が彼を救いました。榎本保郎牧師はこの物語に関して次のように言われます「私たちにとって大事なことはイエスから何かをしてもらうことより、イエスが共にいて下さることを知ることだ。例え死の陰の谷から救いだされてもまた落ちて行くのが人生だ。死の陰の谷から救われる(病気が癒される)ことが究極の喜びではない。それよりも死の陰の谷を渡ってもそのことを恐れない(信仰が与えられる)ことのほうが大切ではないか」(榎本保郎「新約聖書1日1章」)。