江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年3月8日祈祷会(使徒言行録5:1-42、初代教会における様々な問題)

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1.アナニアとサフィラ

 

・教会では、人々が自分の所有物を売ってお金に変え、それを捧げた。これまでにない新しい共同体(原始共産制)がそこに形成されていった。バルナバは地所を売ったお金をすべて捧げ、それに刺激されて他の信徒たちも競って地所等を捧げ始めた。信徒は土地を売った代金をすべて捧げても良かったし、一部を残し、私用で用いることも許された。アナニアは土地を売却して共同体に全部捧げることにしたが、惜しくなり、一部を全部と偽って捧げた。

-使徒5:1-4「アナニアという男は、妻と相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。するとペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思い通りとなったではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間ではなく神を欺いたのだ。』」

・ペトロと話している間に、アナニアは自責の念に耐えられず、倒れて死んでしまった。

-使徒5:5-6「この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ちあがって死体を包み、運び出して葬った。」

・アナニアの妻サフィラも同じく偽りを述べ、彼女も死んだ。二人の突然の死は教会だけでなく、一般の人々にまで伝わり、聞いた者に衝撃を与えた。

-使徒5:9-10「すると、彼女はたちまちペトロの足元に倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」

・アナニアが、「これは土地を売った代金の一部です。残りは私の生活のために用います」と言って捧げた時、誰もアナニアを責めなかったであろう。しかしアナニアは人々の賞賛が欲しかった、そこに罪が侵入した。私たちもアナニアの気持は理解できる。私たちの教会は2011年度の新会堂建設で出来る限りの献金を捧げたが、どこかで「惜しい」という気持ちがあった。私自身について言えば、捧げ切りの特別献金ではなく、やがて戻ってくる教会債を多くしたいという気持ちと戦いながら、建築献金をした。アナニアと同じだ。違いはその惜しむ気持ちが自分の中にあることを隠さなかった、そして出来る範囲でしか献金しなかったことだ。それで良いのではないか、惜しむ気持ちと戦って献金したことを主なる神は受け入れて下さる。アナニアは人の目を気にしたが、神の目を気にしなかった。そこに問題があった。

・アナニアは特別に悪い人ではなく、私たち自身なのだ。同時にバルナバの献身的信仰も私たちの中にある。私たちの心の中にアナニアと同じように惜しむ心(毒麦)があり、同時にバルナバのよう燃える信仰(良い麦)がある。私たちが為すべきことは心にある毒麦と戦い、良い麦を伸ばしていくことだ。そして、私たちは葛藤して獲得した献金を正直に神の前に差し出した時、私たちの献金は清められていく。私たちは「僅かですがお納め下さい」として献金しない。僅かではない。戦って勝ち取った献金なのである。

・初代教会は、消費だけが共同化され、生産の共同化はなされなかったため、やがてお金が無くなって行き詰った。私たちは教会における経済の問題にもっと目を向けるべきだ。アナニアの惜しむ心は私たちにもあるし、教会におけるお金の使い方が教会の分裂を引き起こすこともある。経済を真剣に考えなかった初代教会の共同生活が揺らぎ始めたことは印象的だ。どのように献金するか、献金されたお金をどのように用いるのかは信仰の問題なのである。

 

2.使徒たち、多くの奇跡を行う

 

・初代教会は周りの人たちから好意的な目で見られていた。

-使徒5:12-14「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを賞賛していた。多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」

・使徒たちの伝道は、イエスのガリラヤ伝道と同じように、病人の癒し活動が中心であった。おそらくマザー・テレサの共同体が行ったように、病気の人を見舞い、死に行く人を看取りながら、福音伝道活動を行っていたのであろう。

-使徒5:15-16「人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかる時、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らず癒してもらった。」

 

3.使徒たちに対する迫害

 

・大祭司たちは使徒たちを捕え、牢に入れたが、ルカは主の天使たちが現れ、彼らを解放したと記す。

-使徒5:17-21a「そこで、大祭司とその仲間の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕えて牢に入れた。ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、『行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と言った。これを聞いた使徒たちは、夜明けごろ境内に入って教え始めた。」

・最高法院での審問が始まろうとした時、使徒たちがいないとの報告が彼らにあった。彼らは解放されて神殿境内で民衆に教えていた。祭司長たちは彼らを最高法院まで連行し、宣教の禁止を再び命じた。

-使徒5:27-28「彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。『あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。』」

・しかし祭司長たちの厳しい叱責し対しても、使徒たちの信仰は揺るぎもなかった。

-使徒5:29-32「ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。私たちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために。この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。私たちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。』」

 

4.弟子たちの変貌と復活

 

・ブルトマン「新約聖書と神話論」の中で語る。「キリストの甦りとしての復活祭の出来事は決して史的出来事ではない。史的出来事としては、復活祭信仰は、初代の弟子たちの信仰だけが把捉しうるものである。(中略)歴史家にとっては復活祭の出来事は、弟子たちの幻影的体験にまで還元されてしまうであろう。歴史家にとって復活とは『救済の出来事としての十字架に対する信仰以外のなにものでもなく』、十字架につけられ、甦りたもう者たるキリストは、宣教の言葉において我々に出会い、その他のいかなる所においても出会わないのである」。

・それに対して、バルトは、「復活」を聖書に記されている通りの出来事が生じた「史実」として、肯定すべきだと言う。「復活者を信じる信仰の発生は、復活者が歴史的に出現することによって起こって来るのであり、復活者の歴史的出現それ自体が甦りの出来事である。(中略)イエスご自身が甦って彼の弟子たちに現れ給うたのであって、そのことが甦りの歴史と甦りの時間の内容であり、その当時とあらゆる時代のキリスト教信仰とキリスト的宣教の内容である」。

・使徒言行録での弟子たちの変貌を見る限り、バルトが正しいと思える。弟子たちはそのためであれば、命を捨ててもかまわないほどの「復活顕現の体験」をしたのである。

-第一コリント15:12-17「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、私たちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」。

 

5.ガマリエルの仲裁

 

・使徒たちの証しを聞いて怒った大祭司側の人々は、彼らを処刑しようとした。ただその時、ファリサイ派の律法教師ガマリエルはこれを諌めた。

-使徒5:35b-39「『イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい、あの者たちから手を引きなさい。放っておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。』」

・ガマリエルの説得は大祭司たちに受け入れられ、使徒たちは鞭打たれた後、釈放された。

-使徒5:39-42「一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めしめを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」

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