江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年2月26日祈祷会(第一ペテロ1章、異教社会でどのように生きるのか)

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1.聖なる民となった人々への手紙

 

・ペテロ第一の手紙はローマにいるペテロが同労者シルワノに委託して書いた手紙だと言われている。宛先はアジア州に住む信徒たちで、「離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」と呼ばれている。離散している(ディアスポラ)、異教社会の中で孤立しているという意味であろう。異教社会の中でキリスト者になることは、地域共同体から孤立し、苦難を受けることを意味する。

-第一ペテロ1:1-2「イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように」。

・ペテロは「あなた方はイエス・キリストの福音を伝えられ、バプテスマを受けて神の選びの中に入れられた。あなた方は新しく生まれた」と語る。

-第一ペテロ1:3-5「神は豊かな憐れみにより、私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」。

・異教社会の中でキリスト者は、地域共同体から孤立し、寄留者になる。何故ならば信仰者の生き方は世と異なるからだ。この試練を通して、あなた方は「キリストの弟子になって行くのだ」とペテロは説く。

-第一ペテロ1:6-7「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」。

・彼らはかつて地域の同胞たちと共に、ローマの神殿に参拝し、犠牲を捧げていた。しかしキリストの福音に接して回心した今では神殿礼拝を拒否している。そのため、地域共同体から孤立し、圧迫と敵視を受け、彼らの信仰は揺らぎ始めていた。4章には生き方の違いによる困難の様が記されている

-第一ペテロ4:3-4「かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです」。

・その中であなたたちは良く信仰を守っているとペテロは称賛する。

-第一ペテロ1:8-9「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」。

 

2.聖なるものになれ

 

・今は苦しみがあなた方を覆い、苦しみがいつまでも続くように思えるかもしれないが、苦しみは必ず終わる。主イエス・キリストが来て下さる時まで忍耐しなさいとペテロは語る。

-第一ペテロ1:13「いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れる時に与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」。

・彼らの多くは、以前は異教徒で、異教徒なりの希望を持ち、生活を楽しんでいた。しかしイエス・キリストに出会って、この世の希望や楽しみは空しいものでしかない事を知った。もう「過去の空しい生活に戻ってはいけない」とペテロは勧める。

-第一ペテロ1:14-16「無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。あなたがたは聖なる者となれ、私は聖なる者だからであると書いてあるからです」。

・「あなた方はこの世の価値観という偶像から解放され、今は神の子にしていただいた」、だから「神の子にふさわしく生きなさい。あなたがた自身も聖なる者となりなさい」とペテロは語りかける。

-第一ペテロ1:17-19「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」。

・この神は、キリストを、「あなた方のために」死者の中から復活させて下さったとペテロは語る

-第一ペテロ1:20-21「キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れて下さいました。あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」。

・キリスト者に降りかかる火のような試練の中で、どう生きるべきかについてペテロは語る。

-第一ペテロ1:22-25「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない』。これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです」。

 

3.私たちの新しい生き方とは

 

・「無知であったころの欲望に引きずられるな」とペテロは語る。この世は自己利益と欺瞞に満ちている。何故ならば、自然のままの人間の本質は悪であり、弱肉強食の世界の中で、自分の利益しか求めない存在だからだ。近藤剛は神なき社会を次のように記す。

-近藤剛「神の探求」から「神なき社会においては、神の存在に根差した道徳心、倫理観、規範意識はなく、人間の自由は恣意と化す。人間から良心が棄て去られたら、そこに出現するのは『人間は人間に対して狼である』という原初状態しかない」。

・この不条理な世で、どうキリスト者として生きるかが私たちの課題だ。

-松木真一「神の探求」から「現代人は神に対する懐疑を持たざるを得ない。しかしそれで良いのである。『疑うことを知らぬ信仰は死んだ信仰である』、真摯な懐疑こそ信仰の確証を担保する・・・私たちは疑いつつ、疑いきれないものに出会った時に、神を見出すのではないか」。

・人は不条理に直面して、初めて人生の意味が分かる。この世に不条理があるのは、私たちが人生をより深く知るためではないだろうか。キリスト者は神から力を与えられて、世の不条理と戦う。

-詩編119:71「苦しみにあったことは、私に良い事です。これによって私はあなたの掟を学ぶことができました」。

・ドイツの神学者モルトマンは「私たちは何らかの希望を持つ限り行動的になる」と著書「希望の倫理」で先人たちの言葉を紹介する。希望こそが福音の本質である。

-ラウシェンブッシュ・社会的福音から「禁欲的なキリスト教は世を悪と呼んで世を去った、だが世を悪と呼んでそれを変えようとする革命的なキリスト教を人類は待っている」。

-ドイツ大統領ヨハネス・ラウ「世は実際に混乱の中にあるが、そこに留まる必要はないのだ」。

・モルトマンの信仰は彼の原体験から来ている。モルトマンは1926年ハンブルクに生まれ、18歳で軍隊に招集され、各地を転戦し、19歳の時に戦争捕虜となり、祖国の敗戦を捕虜収容所で迎えた。仲間の多くは死に、故郷は空襲で焼け野原となった。彼は収容所の中で自問自答する。「なぜ私は生きているのか」、「なぜ私は他の人と同じように死ななかったのか」、「神よ、あなたはどこにいるのか」。その彼がアメリカ軍チャプレンから一冊の聖書を贈られ、マルコ15章「わが神、わが神、何故私を見捨てられたのですか」とのイエスの叫びを聞いて、回心を体験する。イエスの十字架死からの復活の再体験こそが、モルトマンを絶望から蘇らせたのである。

-ユルゲン・モルトマン説教集「無力の力強さ」から「私たちの失望も、私たちの孤独も、私たちの敗北も、私たちをこの方から引き離さない。私たちはいっそう深く、この方との交わりの中に導かれ、答えのない最後の叫び、『どうして、わが神、どうして』に、その死の叫びに唱和し、彼と共に復活を待つ。このことこそ「信仰」である。私たちのために、私たちの故に、孤独となり、絶望し、見捨てられたキリストこそ、私たちの真の希望となりうる。私たちを圧する絶望はこの御方と交わることによって、再び自由に開かれて希望となるのである」。

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