2019年10月23日祈祷会(ヘブル4章、私たちの苦しみを知るキリスト)

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1.父祖の不従順に習うな

 

・イスラエルは、救いの招きを受けたのに不従順によって救いから脱落した。エジプトを救い出された民の大半は約束の地に入れなかった。新しいイスラエルであるあなた方は旧約の民の過ちを繰り返してはならない。

-ヘブル4:1-3「神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、私たちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。信じた私たちは、この安息にあずかることができるのです」。

・神は約束を果たされる方である。罪を犯した父祖たちは約束の地に入ることは出来なかったが、その子や孫はヨシュアに導かれてカナンの地に入った。その民に神は語られている「もうかたくなであってはならない」と。

-申命記10:12-16「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか・・・心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない」。

・この言葉はあなた方にも語られている。神の救い=安息はまだ約束されているのだ。

-ヘブル4:8-9「もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。それで、安息日の休みが神の民に残されているのです」。

・しかし、地上のカナンは本当の約束の地ではなかった。民はまたも罪を犯し、地を追われてしまった。そのため、神は私たちに新しい約束(キリスト)を与えてくださった。今度こそこの約束から脱落してはいけない。

―ヘブル4:11「だから、私たちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません」。

 

2.キリストにつながり続けよ

 

・神の言葉は生きている。それは私たちの心や考えを貫く力を持つ。私たちはこの神の前で生きるのだ。

-ヘブル4:12-13「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、私たちは自分のことを申し述べねばなりません」。

・神の言葉は、信じる者には命の言葉となるが、信じない者には無益な言葉である。その御言葉が自分に語られた言葉であることがわかる時に、御言葉がその人の人生を変えるものとなっていく。

-イザヤ55:10-11「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私の元に戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。

・救いの約束としてイエスが来られた。このイエスを「主」と告白することは、あなたの身に迫害や弾圧を招くかもしれない。しかし勇気を出しなさい。主は戦いに勝たれ、既に天におられるではないか。

-ヘブル4:14「私たちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、私たちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」。

・あなた方は今迫害の中で苦しんでいるが、その苦しみはイエスも経験された。イエスはあなた方の苦しみを知っておられるのだ。

-ヘブル4:15「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです」。

・大胆にこの大祭司に対する信仰を告白しようではないか。その結果、迫害されて、殺されても良いではないか。イエスが復活されたように、私たちの人生も死で終わらないのだ。

-ヘブル4:16「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」。

・苦難の時に私たちの信仰は揺らぐ。忍耐が必要だ。同時代に書かれたヨハネ黙示録の著者も、「苦難が終わるまでしばらくの時が必要である」ことを告げる。人生は思い通りにならないことを受け入れる、「平静さ」を持てと勧められる。

-ヨハネ黙示録6:9-11「小羊が第五の封印を開いた時、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ。『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」。

 

3.ヘブル4章の黙想(死んだ神学から生きた神学へ)

 

・へブル書は国家によるキリスト教迫害に苦しむ信徒たちに、旧約聖書を基盤にしたメッセージを伝える。それは当時の人びとには理解できる使信であった。しかし現代人には伝わりにくい。御言葉が現代の私たちにどのような意味を持つのかを考える必要がある。

-ロバート・ベラー「善い社会」から「ヘブライ人への手紙の著者が誰であるかはどうでも良い。それは死んだ神学だ。生きた神学はこの書が私の人生にどのような意味を持つのかを教える。ヘブル13:5は語る「主は『私は、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」。16歳の娘の麻薬が発覚した時、この言葉はどのように私を導くのか。会社が買収されて24年間勤務した職場を去らなければいけない時、この言葉の意味は何なのか、それが問題なのである」。

・私たちには、「地の塩、世の光」としての使命が与えられている。今、社会の中で貧困とバッシングという社会悪の中で、あえいでいる弱者がいるのであれば、私たちは何かを為すように求められる。精神科医和田和樹は「この国の冷たさの正体」(朝日新書、2016.1.13)の中で語る。「なぜこの国はかくも殺伐としているのか。個人、組織、そして国家、どの位相でもいびつな『自己責任』の論理が幅を利かせる。『自由』よりも強者の下で威張ることをえらび、『平等』より水に落ちた犬を叩く」。

・この「他者に冷たい社会」の中で耐えられない者たちが自殺を選択している。イエスは私たちに「地の塩、世の光であれ」と語られた。私たちはまず世の実態を知らなければいけない。「この国の冷たさの正体」で語られたことは自己責任論の罪である。バブル崩壊後の不良債権処理の中で国は「弱者切り捨て」にかじを取り、「貧乏人は頑張らないから貧乏になった」、「老後資金の不足はその人の準備不足の故だ」等の自己責任論を唱えた。国は「聖域なき構造改革」を唱え、企業収益の回復のため最大の費用項目である労働費削減目的で、労働者派遣法の改正を行った。その結果、非正規労働者が増え、個人所得は減少し(1997年度平均給与467万円、2007年度437万円、2014年度415万円)、個人消費の落ち込みによりデフレが続いた。「自己責任論」の掛け声の下で、生活保護受給者や高齢者へのバッシングと自己負担増が行われた。

・その結果、日本は弱者への寛容性が極端に低い「弱者に冷たい社会」になっている。弱者の一部は依存症(ギャンブル依存症536万人、ネット依存症421万人)となり、他はうつ病となり(推定患者350万人)、自殺者も増えた(未遂を含め年35万人、既遂3万人)。大人社会の不健康化の中で、子供の自殺は増加し、2018年度の子供の自殺者は332人であると発表された(小学生5名、中学生100名、高校生227名)。成人の自殺者の大半はうつ病者であり、その他に統合失調症やアルコール依存症がある。しかし子供の自殺が多発する社会は異常だ。背景にあるのはいじめの増大であり(認定されたいじめ件数54万件、内重大事態602件)、それは社会全体の管理強化による「閉塞感の広がり」の故と分析されている(2019.10.17毎日新聞)。

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