江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年1月25日祈祷会(ルカによる福音書24:1-27、復活する)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスの復活と信じられない弟子たち

・イエスは金曜日午後3時に亡くなられたが、金曜日没から安息日が始まるため、イエスの遺体はあわただしく十字架から降ろされ、墓に入れられた。十字架刑を見守っていたガリラヤから従って来た婦人たちは、イエスが清めなしに墓に葬られたのを目撃し、イエスを丁重に葬りたいと願い、イエスの遺体に塗るための香料と香油を準備し、安息日が明けた日曜日の朝早く、墓に急いだ。墓へ着いてみると、墓を封じた石は脇へ転がされ、イエスの遺体はなかった。狼狽する婦人たちの前に二人の天使が現れた。
−ルカ24:1-4「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓の脇に転がしてあり、中に入っても主イエスの遺体は見つからなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣をきた二人に人がそばに現れた。」
・恐れる婦人たちに天使は、「イエスは復活された」と告げる。
−ルカ24:5-7「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することいなっている、と言われたではないか。』
・「婦人たちはイエスの言葉を思い出した」。空の墓を前に途方にくれていた婦人たちが、「人の子は十字架につけられ、三日目に復活する」という生前のイエスの言葉を思い起こすことを通して、イエスが復活されたことを知った。それを知った婦人たちは、喜びにあふれ、知らせを弟子たちに知らせるために急いだ。
−ルカ24:8-10a「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人と他の人皆に一部始終を知らせた。それはマグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。」
・しかし、知らせを聞いた弟子たちは、「この話がたわ言のように思えたので信じなかった」とルカは記す。イエスを神の子と信じ、従って来た弟子たちにさえ、復活の知らせは、「たわ言」のように聞こえた。婦人たちの報告を受けて、ペトロはイエスの墓へ急いだ。そこにはイエスが着せられた亜麻布のみが残され、遺骸はどこにもなかった。
−ルカ24:10b-12「婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわごとのように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家へ帰った。」
・イエスの復活について、四福音書は共通して、信じることがいかに困難であったかについて伝える。マルコはイエスの復活を告げ知らされた婦人たちが「震え上がり、正気を失った」と書き(マルコ16:8)、マタイでは、復活のイエスに出会った弟子たちが「疑った」(マタイ28:17)とあり、ヨハネでは、報告を受けたペテロが墓に急ぐが、イエスの復活を信じなかったとある(ヨハネ20:10)。復活はその出来事を目撃した人でさえ、信じることが難しい出来事だった。

2.エマオに現れたイエス

・婦人たちが復活のイエスにまみえた日、二人の弟子が、エルサレムから十二キロ先のエマオへ旅していた。そこへ復活のイエスが近づいて来たが、彼等は、それがイエスだとは気付かなかつた。
−ルカ24:13-15「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」
・弟子の一人はクレオパ、もう一人はその息子のシモンであったと伝えられている。クレオパのヘブル名はクロパ、クロパの妻はイエスの十字架に立ち会っている(ヨハネ19:25)。おそらく、彼等の家はエマオにあり、過越の祭りにイエスがエルサレムに来られるとの連絡を受けて、一家でエルサレムに行き、そこでイエスの処刑を目撃し、失意の中にエマオに帰るところであったと思われる。二人の目は遮られ、道連れになった人物がイエスであることはわからなかった。イエスは彼等が何を話しているのかと尋ねた。
−ルカ24:16-17「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。『歩きながら、やり取りしているその話しは何のことですか』と言われた。」
・イエスの問いにクレオパが、「祭司長たちや議員たちによってイエスが処刑された」次第を話した。
−ルカ24:18-20「その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在しながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存知なかったのですか。』イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力ある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。』」
・クレオパら二人は、イエスこそイスラエルの解放者、救い主と信じ、期待していたが、十字架に架けて処刑され、その上、遺体が墓から消え去ったと絶望的に語った。
−ルカ24:21-24「『私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。婦人たちが朝早く墓に行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、「イエスは生きておられる」と告げたというのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言った通りで、あの方は見当たりませんでした。』」
・二人の話しを聞いたイエスは彼等の物分かりの悪さを指摘して、モーセを始め、聖書に書かれた預言者が「メシアは苦しみを受けて、栄光に入る」と預言しているではないかと説明を始められた。
−ルカ24:25-27「そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、預言者たちの言ったことすべてが信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モ−セとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」
・「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とルカは記す(24:16)。彼らがイエスを認識したのは、「イエスがパンを取り、それを割いて、二人に渡された」時である(24:31)。ここにルカは「復活のイエスとの出会い」は、信仰なしにはあり得ず、その出会いは主の晩餐式を通してであったと示唆する。信仰は説教の言葉を通して、また食卓の交わりを通して確認されるのである。
−第一コリント11:23-26「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』と言われました・・・だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。」

3.復活物語をどのように聞くか

・イエスを神の子と信じ、従って来た弟子たちにさえ、復活の知らせは、「たわ言」のように聞こえた。復活は自らが経験しない限り、「たわ言」に過ぎない。復活が「たわ言」である時、十字架は惨めな敗北だ。−第一コリント15:14「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」。
・しかしパウロは復活を信じている。何故ならば、彼は復活のイエスと出会ったからだ。復活信仰を支えるものは弟子たちの目撃証言である。
−第一コリント15:3- 8「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです・・・キリストが・・・聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れ・・・最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。」
・ドイツの聖書学者ゲルト・タイセンは語る「復活顕現とは何か、何がそこで起こったのかを人は決して知ることが出来ない。しかし、12人が、あるいは11人が一緒に亡くなった一人の人の幻を見るということは大変稀なことだ。しかもそこにいたのは異なった態度の人々、ペテロはイエスを否認し、ヤコブはイエスに懐疑的であり、パウロは敵だった。そのような異なった態度の人たちが一致して幻を見るというのは当たり前ではない・・・さらに亡くなった人の幻を見ることは多くの人が経験するだろうが、そこで亡くなった人が神であったという信仰が生じることはない」 。
・「復活のキリストとの出会いは」は今日でも続いている。日本基督教団宣教研究所・戒能信生氏の調べでは、教団所属牧師2700人のうち、約15%は親が牧師、つまり二世牧師である。戒能氏が国際宗教研究所シンポジウムでそのことを紹介した所、他宗教の人々から、「キリスト教は生きている」との感想を聞かされたという。「他宗教の場合、二世率は100%近く、それさえ充当できなくて困っているのに、キリスト教会においては牧師の子どもでない人が牧師になる比率が85%になることに驚きの声があがったという」(福音と世界・2007年4月号から)。生けるキリストに出会わない限り、この世的には報われない牧師になる人はいない。「復活のキリストとの出会いは」は今日でも続いているのである。

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