1.バルナバとサウロ、宣教旅行に出発する
・使徒13章1節で、ルカはアンティオキア教会の指導者たちの名前をあげている。バルナバはキプロス出身のユダヤ人、ニゲル(ニグロ)と呼ばれるシメオンはアフリカ出身の人だった。キレネ人ルキアは北アフリカの出身だ。マナエンは身分の高いユダヤ人だった。サウロはかつて教会の迫害者だった。さまざまな土地から来た、さまざまな人々が、キリストの名の下に一つにされて、教会を形成していた。
-使徒13:1「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた」。
・アンティオキア教会のバルナバとパウロに主の宣教命令が下った。バルナバはキプロス出身で郷里伝道に強い使命感を持っていたし、サウロも召命の時から異邦人伝道を志していた。二人が海外伝道の希望を教会に申し出たことが2節「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた」に表現されている。個人の思いではなく、神の御心が働いていることを示すルカ特有の表現だ。
−使徒13:2-3「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた『さあ、バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために』。そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。
・バルナバとサウロは教会の中核であり、二人がいなくなると教会は困る。彼らは祈った。そして痛みがあっても、それが御心であれば従おうと決心し、二人を海外伝道に送り出す。
-使徒13:4a「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下った」。
2.キプロス宣教
・バルナバとサウロは、バルナバの郷里キプロス島に向かい、サラミスのユダヤ人会堂で最初の宣教を行い、その後島中を巡った。
−使徒13:4b-7「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは・・・キプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の会堂で神の言葉を告げ知らせた・・・島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師でバルイエスという一人の偽預言者に出会った。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。」
・パウロは、地方総督を福音から遠ざけようと企む魔術師を追い払い、総督を信仰に導く。
−使徒13:8-12「魔術師・・・は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて言った。『・・・お前は主のまっすぐな道をどうしてゆがめようとするのか。今こそ主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。』するとたちまち、魔術師は目がかすんで、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。」
・ローマ総督は、バルイエスが盲にさせられた奇跡を見て、信仰に入ったのではないだろう。「神は自分を救うために、パウロとバルナバという二人を遠い国から派遣し、一人の魔術師を盲にしてまでも、自分を招いて下さった。神がこれほど自分のために心を砕き、これほどむきになって下さったことを知って、彼の心の目が開かれ、彼は信仰に入った」とブルースは著書「使徒行伝」の中で述べる。
3.ピシディア州アンティオキアでの出来事
・キプロス宣教を終えたパウロたちは、船で小アジア(現在のトルコ)のペルゲに渡り、そこからピシディア州アンティオケに進む。当時、その地はガラテヤと呼ばれていた。この頃から旅行の主導権がパウロに移っている(13:13「パウロとその一行」とのルカの表現はそれを示唆する)。ヨハネはこれに不服のためか、エルサレムに戻る。このヨハネの勝手な行動がやがてパウロとバルナバの仲たがいの原因になる。
-使徒13:13-14「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた」。
・会堂に集まったユダヤ人と異邦人に向けてパウロは語り始める。そのパウロの説教が16節から41節にかけて記録されている。パウロの説教前半の特徴は、主語がすべて神であることだ。
-使徒13:16b-25「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。神は、私たちの先祖を選び出し・・・神はエジプトから導き出し・・・神はカナンの地を相続させて下さり・・・神は裁く者たちを任命なさり・・・神はダビデを王の位につけ・・・神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送って下さった」。
・「神は、神は、神は」、歴史の主体は神であり、神が世界を支配し、歴史を導いておられるとパウロは証言する。もし人が歴史の主体であれば、勝った人だけが歴史の表舞台を歩き、負けた人は記録に残らない。他方、「歴史は神により導かれている」ことを信じるならば、私たちの人生は「神が選び、導き、育み、与えた」人生であり、すべては必然になる。私たちが課題や問題を抱えているとすれば、それは神によって与えられており、私たちを祝福に導くために与えられていることになる。このことを信じる時、人生の意味は根本から変わって行き、どのような人生であろうとも、それを肯定できるようになる。パウロの説教は、私たちがどのような歴史認識を選ぶのかと問いかけている。
・26節から説教は後半に入り、後半の特徴は、主語が人になっていることだ
-使徒13:27-29「エルサレムに住む人々は・・・イエスを罪に定め・・・イエスを死刑にするように求め・・・イエスを木から降ろし、墓に葬りました」。
・神が主語の時は祝福と恵みがあったのに、人が主語になるとそれは呪いと悪意に変わる。救い主が世に来られたにもかかわらず、人々はこれを拒否し、十字架につけて殺した。それにもかかわらず神は人々の悪意を超えて行動をされたと結論部分でパウロは語る。
-使徒13:38-39「だから兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、またあなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」。
4.ユダヤ人は反発し、異邦人は受け入れた
・パウロの説教は、「次の安息日にも話してください」と望まれるほどの感動を人々に与えた。
−使徒13:42-45「パウロとバルナバが会堂を出る時、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者がついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどく妬み、口ぎたなく罵って、パウロの話すことに反対した。」
・ユダヤ人はパウロたちの異邦人伝道の成功を妬んだが、二人は怯まず勇敢に語った。
―使徒13:46-48「そこでパウロとバルナバは勇敢に語った。『神の言葉はまずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、私たちは異邦人の方に行く・・・異邦人はこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。」
・パウロたちはユダヤ人に扇動された人々によりその町を追い出された。しかし福音は根を下ろした。
−使徒13:49-52「主の言葉はその地方全体に広まった。ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町の重だった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで二人は彼らに足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」
・パウロとバルナバはユダヤ人に対して、「神の選びの民とされているあなたがたが神の招きを受け入れないならば、神はあなたがたを捨て、異邦人を新しい選びの民とされるだろう」と明言し、指導者たちは怒り、二人を町から追い出した。福音を聞いて自分の生き方を悔いる者は信じ、生き方を変えない者は拒否する。福音は人を二分する。
−ローマ9:30-32「義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです」。