江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年11月25日祈祷会(使徒言行録14:1−28、イコニオン、リストラでの伝道)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イコニオンで

・パウロとバルナバはピシディア州アンティオキアを出発し、144キロ余を旅してイコニオンに到着、ユダヤ人の会堂で福音を宣べ伝えた。彼らの説教は、会衆に感動を与え、入信者が出た。しかし、ユダヤ人指導者たちは彼らの伝道の成功に激しく嫉妬し、地元の人々を唆して、二人を排斥しようとした。
−使徒14:1−3「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。ところが信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」
・町の人々は、使徒側とユダヤ人側に分裂した。ユダヤ人に扇動された人々は、パウロとバルナバに暴力を振るおうとした。二人はそれに気づき、他の地へ避難し、その先々で伝道を続けた
−使徒14:4−7「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした時、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ知らせた。」
・パウロたちが伝道の拠点にしたのは各地のユダヤ人会堂(シナゴーク)だった。国を滅ぼされ、世界各地に離散したユダヤ人は、散らされたそれぞれの地で安息日ごとに会堂に集まり、聖書を読み、礼拝を捧げるようになっていた。そのユダヤ人会堂(シナゴーク)がパウロたちの伝道拠点になった。ユダヤ民族の苦難と離散を通して、福音宣教のための拠点が用意されていた。神の不思議な計画である。彼らの読んでいた聖書はギリシア語に翻訳された70人訳聖書であったので、異邦人も会堂での礼拝に参加していた。
−イザヤ61:6-9「あなたたちは主の祭司と呼ばれ、私たちの神に仕える者とされ、国々の富を享受し、彼らの栄光を自分のものとする。・・・ 彼らの一族は国々に知られ、子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう。これこそ、主の祝福を受けた一族である、と」。

2.リストラで

・リストラでは、二人はユダヤ教の会堂に入ったとは書かれていない。ユダヤ人の会堂がなかったのであろう。二人は町の門や神殿の前など人が多く集まるところで福音を語ったと思われる。そのリストラでパウロは足の悪い男を癒した。
−使徒14:8−10「リストラに足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人がパウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、癒されるにふさわしい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は躍り上って歩きだした。」
・目の前で、足なえの男が癒されたのを見たリストラの人々は、二人をギリシアの神々の再来だと思いこみ、バルナバをギリシア神の最高神ゼウス、弁舌の人パウロをゼウスの子ヘルメスと呼び、二人にいけにえを捧げようとした。
−使徒14:11−13「群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお降りになった』と言った。そしてバルナバを『ゼウス』と呼び、また主に話す者であることから、パウロを『ヘルメス』と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒なって二人にいけにえを献げようとした。」
・バルナバとパウロは、彼らが自分たちをギリシアの神々と思いこみ、いけにえを捧げようしているのを知り、彼らの誤りを糺そうとして、「偶像を信じるのをやめ、真の生ける神を信ぜよ」と叫んだ。
−使徒14:14−17「使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言った。『皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、私たちは福音を知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、その中にあるすべてを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のこと証ししないでおかれたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。』」
・パウロたちが懸命に群衆を説得していた時、アンティオキアからパウロたちを追いかけて来たユダヤ人が現れ、群衆を扇動して、パウロを「石打ちせよ」と叫び、石を投げつけた。ステファノも石打ちで殺されている(7:60)。ぐったりとしたパウロを彼らは町の外へ引きずり出した。しかしパウロは奇跡的に無事であった。パウロは弟子たちの看病を受け、起き上がると、翌日、デルベへと向かった。
−使徒14:18−20「こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。ところが、ユダヤ人がアンティオキアからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして、翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。」
・パウロは後にコリント教会への手紙の中で自分の苦難体験を語り、「石を投げつけられたことが一度」と記している。このリストラでの体験を思い起こしていたのかもしれない。
−第二コリント11:24-25「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました」。

3.パウロたち、母教会アンティオキアに戻る

・パウロたちはデルベで伝道活動をした後、リストラ、イコニオン、アンティオキアと、来た道を引き返した。パウロとバルナバが弟子たちに「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と述懐したのは、この危険な宣教旅行から学んだことだった。二人はこれらの町々の集会ごとに長老を任命した。迫害の中でも彼らは教会の基礎作りをした。
−使徒14:21−23「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。」
・パウロたちは、ピシディア州を過ぎ、パンフィリア州のべルゲの教会で説教した。この地は先に彼らがキプロスから上陸した時、立ち寄った地であった(13:13)。そして、彼らはさらにアタリアへ下り、海路母教会のアンティオキア教会へ帰った。彼らの宣教旅行は一年を要した。彼らは母教会に帰着すると、直ちに教会員を集め、宣教旅行の報告会を開き、神が共にいまして、異邦人伝道の道を開いたことを証しした。パウロはこの時を含めて三回の伝道旅行を行なっているが、いずれもアンティオキアから出発し、アンティオキアに戻っている。彼の伝道は個人の伝道ではなく、教会から派遣された伝道なのである。
−使徒14:24−28「それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ベルゲで御言葉を語った後、アタリアへ下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みに委ねられた送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。」
・異邦人伝道に際してユダヤ人との間に起こる様々な軋轢は解決を要する緊急課題であった。ユダヤ人は神から選ばれた特別な民であるという誇りを持ち、異邦人が集会に受け入れられるために、ユダヤ人のように割礼を受け、律法に従わねばならないとしていた。また厳格なユダヤ人は決して異邦人と交際しなかった。ユダヤ人と異邦人が集会を共にするためには、それが解決すべき重要課題だった。その解決のためにエルサレムで使徒会議が開かれ、割礼を強要しないことが決められ、異邦人伝道の道が開かれていく。
−使徒15:13-21「二人が話を終えると、ヤコブが答えた。『兄弟たち、聞いて下さい。神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました・・・それで、私はこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。モーセの律法は・・・安息日ごとに会堂で読まれているからです。』」

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