江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年10月29日祈祷会(マタイ福音書23:23−39、あなたたち偽善者は不幸だ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.あなたたち偽善者は不幸だ

・律法学者やファリサイ人たちは決められた教えは厳格に守った。彼らは十分の一税納付もきちんと行っていた。地の産物の十分の一を、神への献げ物として神殿に納めることは、律法に定められていた(申命記14:22)。しかし、イエスは彼らが「小さなブヨは漉しても、大きなラクダは呑みこんでいる」と批判された。ユダヤ教指導者は、小義にこだわり、大義を忘れていた。薄荷、いのんど、茴香(ういきょう)などは、農家の庭先などでごく少量栽培されるだけの食材であり、薬材だ。ユダヤ教指導者は些末なことに拘り、律法の中で最も重要な「正義、慈悲、誠実」をないがしろにしていたのである。
−マタイ23:23−24「律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香(ういきょう)の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な、正義、慈悲、誠実はないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならない。ものの見えない案内人、あなたたちは、ぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。」
・イエスは次に、器の譬えでユダヤ教指導者の偽善を追及した。杯や皿の外側を、いくら綺麗に洗い清めても、内側を洗い清めなければ、その杯や皿を本当に清めたとは言えない。同じようにユダヤ教指導者たちは、表面だけ律法を守っているように見せかけているが、内心は強欲と放縦に満ちていた。
−マタイ23:25−26「律法学者とファリサイの人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」
・ユダヤ人は死体や墓に触れると汚れると信じていた(民数記5:6)。ユダヤ人の墓の多くは路傍にあったが、墓に触れると汚れるので、人々に気付かせるよう墓を白く塗った。白く塗られた墓は外目に美しく見えても、その中には汚れた死体がある。ユダヤ教指導者の実体はこの墓のように、外見は信心深く清く見えるが、その心の中は罪に汚れているとイエスは指摘された。
−マタイ23:27−28「律法学者とファリサイ派の人々、あばたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」

2.蝮の子と批判されるファリサイ人たち

・ユダヤの歴史は預言者や義人の血を流した歴史である(イザヤはのこぎりで首を引かれ、エレミヤは石打ちの刑で殺されたとされる。ヘブル11:36−37参照)。律法学者やファリサイ人は殉教者の墓を建て、記念碑を飾りたてた。しかし、イエスは彼らに言われた「あなたたちは、行っている言動で、預言者を殺した者の子孫であることを告白している。先祖の悪事の仕上げをしている」と。
−マタイ23:29−32「律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし、先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者の子孫であることを自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。」
・イエスはユダヤ教指導者を「蝮の子らよ」と呼び、「地獄の罰を免れない」と宣言したとマタイは記す。これはイエスの言葉というよりも、当時ユダヤ人から迫害を受けていたマタイ教会の言葉であろう(「蝮の子らよ」との呼びかけは洗礼者ヨハネのものであり、イエス自身の言葉ではない)。彼らが地獄の罰を免れないのは、遣わされた預言者、知者、学者らを迫害し、会堂で鞭打ち、殺した報いである。
−マタイ23:33−34「蛇よ、蝮の子らよ。どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。だから、私は預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。」
・「アベルからゼカルヤに至るまで正しい人の血が流された」と指摘されている。アベルはカインにより殺され、ゼカルヤは祭司長たちから殺されている(歴代誌下24:20−22)。神が遣わした預言者の血を流したのがユダヤ人の歴史である。「その血の責任はすべて今の時代の者にふりかかる」とイエスは言われとマタイは記すが、これもイエスの言葉というよりもマタイ教会の言葉であろう。
−マタイ23:35−36「こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキヤの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべてあなたたちにふりかかってくる、はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」

3.イエスがエルサレムのために嘆く

・エルサレムは、神が遣わす預言者を受け入れず殺し、悔い改めなかった。神はエルサレムを見捨てず、イエスを遣わし、限りない忍耐をもってエルサレムの回心を待たれた。しかし、エルサレムは神の求めに応じようとしなかった。イエスは言われた「私は何度もあなたたちを救おうとしたが、あなたたちは応じようともしなかった。この後、エルサレムは荒れ果てるであろう」と。紀元70年、エルサレムはローマ軍により破壊される。イエスを受け入れなかった結果だとマタイは理解する。
−マタイ23:37−39「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ。めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決して私を見ることがない」。

4.マタイ23章をどのように読むか(市川喜一著作集から)

・紀元70年のエルサレム神殿崩壊後のマタイの時代には、祭司階級や他の派は消滅し、ファリサイ派だけが神殿なき後のユダヤ教の再建を担っていた。最高法院に代わってユダヤ教を指導した律法学者たちはみなファリサイ派だった。そのため、マタイにおいては「律法学者とファリサイ派」はいつも一組で現れ、一体として扱われる。この時代に彼らは、イエスを信じるユダヤ人キリスト者を異端として追求するようになり、公式の祈りにその絶滅を祈る言葉を加えるに至った。このユダヤ教会堂からの異端者としての迫害に対して、マタイも激しい言葉で対抗する。マタイは自分たちに対立し、迫害するユダヤ教会堂の代表者たるファリサイ人に対して、伝えられた語録を集め、さらに激しい文言を書き加えて、この律法学者・ファリサイ派弾劾の語録集(23章)を形成した。
・エルサレム神殿の崩壊は、教団の側では、イエスを殺したことに対する神の裁きと理解され、ユダヤ教指導層は神に断罪されたのだという確信になっていく。そして、ユダヤ教会堂がイエスを信じる者を公式に異端としたことは、マタイの共同体などユダヤ人キリスト教徒が、会堂とは一切の関わりを断ち、外に出て行かざるをえないようにした。このような状況が、マタイにファリサイ派断罪語録集を造らせた。
・この語録集が形成された歴史的状況を強調したのは、この語録集の糾弾や断罪があくまでユダヤ教内部の争いであることを理解するためだ。マタイ23章は、イエスをメシアと信じるユダヤ人キリスト者と、その信仰を異端とするユダヤ教指導者との間の論争集であり、マタイ教会がユダヤ教徒を「地獄の子」と断定したからといって、ユダヤ教の外にいる者がユダヤ教徒全体を「地獄の子」と断罪することは、大きな筋違いである。しかし、キリスト教の歴史の中で長らく、神の言葉である聖書(新約聖書)がユダヤ教を断罪しているのであるから、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は呪われた者であり、キリスト教徒の交わりに入ってはならない、という考え方が底流となって、キリスト教世界におけるユダヤ人迫害が行われた。聖書の文言はあくまで、その言葉が出てきた歴史的状況に置いて、問われなければならない。歴史的状況を捨象して、書かれた言葉だけを絶対化すると間違いを犯しかねない(ファンダメンタリズムの誤り)。私たちが学問的成果を尊重しながら、聖書解釈を追求しているのもこのためである。

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