江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年4月29日祈祷会(マルコ14:32-72、イエスの裁判とペテロの裏切り)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスの裁判

・イエスと弟子たちは最後の晩餐の後、オリーブ山に向かう。山の中腹にあるゲツセマネ(油絞り)の園で祈るためだ。イエスは園で苦悶される。若い肉体は死を欲していないし、それ以上に死ぬことの意味が見出せなかった。
-マルコ14:33-34「そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。『私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい』」。
・「メシアとして死ぬことが本当に人々の救済になるのか」、イエスは苦闘される。しかし最後は「主の御心」に委ねられる。祈りの最大の困難は神の応答がないことだ。応答の無いままに主に委ねていく、それが信仰だ。
-マルコ14:35-36「少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように』」。
・イエスが死の苦悶をされている時、弟子たちは眠りこけている。「心は燃えても肉体は弱い」からだ。
-マルコ14:37-38「戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた・・・『シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い』」
・そこにユダがローマの守備隊を連れてイエス捕縛に来る。イエスは抵抗することなく捕らえられる。弟子たちは皆逃げ出した。一人の若者の記事が挿入されているが、この若者が福音書著者マルコ・ヨハネといわれる。
-マルコ14:50-52「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。
・逮捕されたイエスは大祭司の屋敷に連行され、そこで裁判を受ける。大祭司は最初からイエスの処刑を計画している。彼が欲しいのは有罪の証拠だ。大祭司はイエスに「お前はメシアか」と問い、イエスは「自分がそうだ」と答えられる。イエスは死を覚悟して決定的な告白をされる。このイエスの答えが断罪の証拠になった。
-マルコ14:61-64「大祭司は尋ね、『お前は褒むべき方の子、メシアなのか』と言った。イエスは言われた『そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る』。大祭司は、衣を引き裂きな
がら言った『これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか』。一同は、死刑にすべきだと決議した」。

2.ペテロの裏切り

・イエスが大祭司の前で決定的な告白をされている時、後を追って大祭司の屋敷まで来たペテロは、大祭司の中庭で女中に問い詰められていた。
-マルコ14:66-67「ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。『あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた』」。
・ペテロは三度問い詰められる。最初は知らないふりをし、二度目はキリスト者であることを否定し、三度目はイエスとのいかなる関係をも否定する。初代教会はナザレ派と呼ばれ、正統派からは異端とされ、社会から踏み絵を迫られ、多くの信徒が離脱していた。マルコはペテロの問答の中に、教会の苦闘をも書き込む。
-マルコ14:68-71「ペトロは打ち消して『あなたが何のことを言っているのか、私には分からないし、見当もつかない』と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた・・・ペトロは、再び打ち消した・・・ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」。
・ペテロは最後の晩餐の時、「どんなことがあっても裏切らない」とイエスに誓い、イエスが「あなたは私を否認するだろう」と言われても、「決してそんなことはない」と言い張った。そのペテロが崩され、今泣き出す。
-マルコ14:72「するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした」。
・このペテロの裏切り記事を4福音書全てが書く。この出来事は「人間は弱さを通じて信仰を与えられる」ことを示す。信仰は人間の意志では貫徹できない。人が砕かれ、復活の主に出会った時、恵みとしての信仰が与えられる。
-マルコ14:27-28「イエスは弟子たちに言われた『あなたがたは皆私につまずく。私は羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまうと書いてあるからだ。しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く』」。
・人は全て過ちを犯す。「心は燃えても肉体は弱い」からだ。信仰はその罪人が再び神に戻ることを可能にする。
-ヘブル4:15「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです」。

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