1.ぶどう園と農夫の例え
・イエスはエルサレム神殿での宮清めを通して、神殿祭儀の欺瞞性を批判された。この出来事によりイエスとユダヤ当局との対立が尖鋭化し、当局は祭司や律法学者を遣わしてイエスに論争を挑ませ、告発の口実を探し始める。それに対してイエスは「ぶどう園と農夫の例え」を話され、信仰を商売にする祭司たちのあり方を批判される。
-マルコ12:1-8「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した・・・そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。まだ一人、愛する息子がいた『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは・・・息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」。
・この例えはイザヤ5章「ぶどう園の歌」を土台にしている。イザヤは「神が植えられたぶどうが酸っぱい実しかつけなかった」としてイスラエルの不信仰を批判した。イエスもイザヤの言葉を引いて祭司たちを批判されている。
-イザヤ5:1-7「私の愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった・・・ イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに見よ、流血。正義を待っておられたのに見よ、叫喚」。
・人間は神から派遣された者を邪魔にする。人間が礼拝するのは神ではなく自分だからだ。人間が求めるのは神の義ではなく自分の義だ。これはユダヤ人だけの問題ではなく、禁欲や戒めを求める私たちの問題でもある。
-ローマ9:31-32「イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです」。
・イエスはそのような人間に何が待っているのかを預言される。神は捨てられた子をよみがえらせ、神殿を破壊され、約束の地は異邦人に与えられる(70年エルサレム神殿崩壊、135年ユダヤ人のパレスチナ追放の歴史を見よ)。
-マルコ12:9-11「さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える。』」
2.神のものは神へ
・次にパリサイ人たちが来てイエスを試みる「皇帝に税を納めても良いか」と。律法に熱心な人々は、皇帝に税を納めるのは異教の支配に服する偶像崇拝だとして拒否し、反乱を起こしていた。当時の尖鋭な政治問題だった。
-マルコ12:13-14「人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った『・・・皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか』」。
・これに対してイエスは「デナリ銀貨を見せなさい」と言われた。銀貨にはローマ皇帝の肖像が彫られていた。
-マルコ12:15-17「イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた『なぜ、私を試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい』。彼らがそれを持って来ると、イエスは『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい』」。
・ローマ通貨を彼らが用いていた事は、彼らがローマ支配と言う秩序の中で暮らしていたことを示す。現在の世を生きているのであれば、世から求められる義務を果たせとパウロも言う。世捨て人になることは求められていない。
-ローマ13:7「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」。
・しかし「神のものは神に返せ」、国家が絶対化・神格化したときは、それと戦うのが信仰者だ。
-使徒4:19-20「しかし、ペトロとヨハネは答えた『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです』」。
・復活論争もそうだ。この世の秩序と神の秩序は異なる。そのことをわきまえることが大事だ。
-マルコ12:24-27「イエスは言われた『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。・・・ 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている』」。