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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年7月30日祈祷会(ルカ18章、求めることと捨てることの大事さ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.求めることの大事さ

・イエスは前に「熱心に求めよ」と言われた。どのように迷惑な祈りであっても、必死の祈りは神に聞かれると。
−ルカ11:5-8「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達が私のところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです』。その人は家の中から答えるにちがいない『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちは私のそばで寝ています』・・・その人は・・・執拗に頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」。
・このたびは不正な裁判官とやもめの例えを用いて同じことをイエスは言われた。
−ルカ18:2-5「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては『相手を裁いて、私を守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた『・・・あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、私をさんざんな目に遭わすにちがいない』」。
・不正な裁判官でさえ、求める者には便宜を図る。公正な裁判官である父が祈りを聞かれないことがあろうか。
−ルカ18:6-7「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている、選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」。
・エリコの盲人の物語も、求める者には与えて下さる話である。盲人は他の者が止めてもイエスを求め続けた。
−ルカ18:35-39「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。・・・彼は『ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫び続けた」。
・イエスはこの必死な声に答えられた。マルコではこの盲人はバルティマイと呼ばれている。この事件を契機に主に従う有力な信徒になった者と思われる。
−ルカ18:40-43「イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった『何をしてほしいのか』。盲人は『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った』」。

2.捨てることの大事さ

・他方、満足して求めない者には神の国は閉じている。パリサイ人の祈りは神にではなく、自分に祈っている。
−ルカ18:10-12「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』」。
・ユダヤ教の祈祷書には同じような祈りが記されている。パリサイ人は律法にある自分の義を誇り、神の恵みを求めなかった。他方、徴税人は神の憐れみを求めた。求める者には与えられるが、求めない者には与えられない。
-ルカ18:13-14「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った『神様、罪人の私を憐れんでください』。言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」。
・イエスは道を求めてきた金持ちにも、本当に求めるのなら、不要な物を捨てなさいと言われた。金持ちは捨てることが出来ず帰った。富が悪いのではなく、富に心を奪われ、神を求めないところに罪がある。
-ルカ18:22-23「『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。・・・』。しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである」。
・金持ちは捨てることが出来ない故に、神の国から遠いとイエスは言われた。これを聞いたペテロは「私たちは捨てて従いました」と胸をはった。しかし、マタイの記事を見るとペテロたちもまだ捨てていない。
-マタイ19:27「ペトロがイエスに言った『このとおり、私たちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、私たちは何をいただけるのでしょうか』」。
・そのペテロたちはイエスの十字架を通して、捨てることの意味を強制的に学ばせられる。イエスの十字架を通して、彼らもまた迫害のなかに巻き込まれていく。使徒言行録5:41のペテロはまるで違う人間になっている。
-ルカ18:31-34「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた『今、私たちはエルサレムへ上って行く。・・・人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する』。十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである」。
−使徒言行録5:41-42「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた」。

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