江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年7月2日祈祷会(ルカ14章、誰が神の国の祝宴に招かれるのか)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.神の国への招きを断る者

・イエスが安息日にパリサイ人の食卓に招かれていかれたところ、そこに水腫を患っている人がいた。イエスを試すためにあえて水腫の人をも招いたのであろう。イエスは人々の思惑を知りながらその人をいやされた。
−ルカ14:1-4「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた『安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか』。彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった」。
・福音書には安息日に人をいやす記事が7回あるが、そのうち4回はルカだ。ルカは「自分の家畜が安息日に井戸に落ちたら助けるのに、安息日に人がいやされることを喜ばない」パリサイ人のかたくなな信仰を批判している。
−ルカ14:5-6「『あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか』。彼らは、これに対して答えることができなかった」。
・イエスはパリサイ人たちが上席につきたがる様子を見て批判された。彼らの神よりも人の目を気にする。
−ルカ14:7-9「イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された『婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、この方に席を譲ってくださいと言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる』」。
・出席者の一人が「神の国で食事をする人は幸いです」と言った。彼は自分が神の国の食卓に着くと思い込んでいる。その人々に、イエスは「あなたがたは神の国の祝宴に入ることは出来ない」と警告される。
−ルカ14:16-21「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は『畑を買ったので、見に行かねばなりません・・・』と言った。ほかの人は『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです・・・』と言った。また別の人は『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。僕は帰って、このことを主人に報告した。家の主人は怒って、僕に言った『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』」。
・人々の断りの理由は現代の人々が主日礼拝に出ない理由と似ている。この世の煩いが人々を救いから遠ざけている。パリサイ人は神から招かれているのに、応えようとしない。主人は怒って、あなたがたが軽蔑している人々を代わりに招かれるとイエスは言われた。ユダヤ人が招きに答えなければ異邦人が招かれるであろうとも。
−ルカ14:22-24「僕が『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいない』」。

2.弟子になるとは

・エルサレムに向かわれるイエスに大勢の群集が同行した。彼らはイエスがエルサレムで王位につかれると考え、自分も分け前にあずかるためについてきた。しかしイエスは「自分の十字架を背負って従うものでなければ弟子にはなりえない」と警告される。
−ルカ14:25-27「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた『もし、だれかが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、私の弟子ではありえない』」。
・イエスはエルサレムで十字架につかれる。師が殺されるのであれば弟子も危険を負う覚悟が必要だ。イエスの弟子になることはこの世では犠牲や危険が伴う。そのことを知った上で従えとイエスは言われる。
−ルカ14:28-33「塔を建てようとする時、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。・・・他の王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。・・・同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人として私の弟子ではありえない。」
・塩は塩気をなくしたら、何の役にも立たなくなり、棄てられる。恵みはイエスの命で贖われたのだ。だからあなたがたも塩気を保てと主は言われる。マタイ(5:13以下)に比べるとルカは厳しい。
−ルカ14:34-35「塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい」。

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