江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年6月4日祈祷会(ルカ10章、あなたも隣人になりなさい)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.信じない人々にどう対応するのか

・イエスは72人の弟子を各地に派遣されたとルカは記す。ルカ9章にあった12人の派遣はマルコ(6:7-12)、マタイ(10:5-42)も記すが、72人の派遣はルカのみである。異邦人伝道に消極的な教会に対してのルカのメッセージがここに含まれているのであろう。
−ルカ10:1-2「主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい』」。
・弟子たちが宣教した時、ある者は受け入れ、ある者は拒否するであろう。しかし、拒絶する人々にかかわるなとイエスは言われる。その先は神の業であり、私たちは宣教するだけで良い。
−ルカ10:10-11「町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と」。
・不信仰者は神が裁かれる。13節以降のイエスの言葉がそれを示唆する。厳しい言葉であるが真実だ。
−ルカ10:13-16「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。・・・カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのである。私を拒む者は、私を遣わされた方を拒むのである」
・72人はそれぞれの業を終えて帰ってきた。教会の業が成果を挙げた時私たちは喜び、目に見える結果がなければ悲しむ。しかし、それは本質ではない。私たちはやるべきことを為せばよい。
−ルカ10:17-20「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った『主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私たちに屈服します』。・・・イエスは言われた『悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい』」。

2.誰が隣人になったのか

・10章後半は「善きサマリヤ人のたとえ」だ。律法学者はイエスに「私の隣人とは誰ですか」と尋ね、それに答えて、イエスはこの話をされた。隣人とは私を中心にしては見つからない、相手が中心になるのだと。
-ルカ10:25-29「律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った『先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』。イエスが『律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか』と言われると、彼は答えた『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさいとあります』。イエスは言われた『正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる』。彼は自分を正当化しようとして『私の隣人とはだれですか』と言った」。
・例えには三人の人が登場する。祭司とレビ人は傷ついている人とのかかわりを恐れて通り過ぎた。サマリヤ人のみが傷ついている人を介抱した。イエスは「誰が隣人になったのか」と律法学者に問われる。
−ルカ10:36-37「『あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか』。律法の専門家は言った『その人を助けた人です』。そこで、イエスは言われた『行って、あなたも同じようにしなさい』」。
・誰が私の隣人か、誰が救われるべきかについて、ユダヤ人は長々と議論した。サマリヤ人は倒れている人を見て、議論なしに行為した。下記のマザーテレサの言葉はこの例えの一つの解釈であろう。
−マザーテレサの言葉「遠くにいる人たちを愛するには、簡単なことです。インドの餓えた人たちのことを考えるのも、とても簡単なことなのです。あなたはまず自分の家庭に、次にお隣の家庭に、そしてあなたの住んでいる所、それからあなたの街に目を向けなくてはなりません。それから、初めて外に向かうのです」。
・誰が私の隣人かを議論するよりも私には何が出来るかを求めていく。ケネディの言葉も同じ文脈の中にある。
−ケネディ大統領就任演説から「国が何をしてくれるか求めるのではなく、国のために何ができるかを考えよ」。
・人は自分の為すべき事をすれば良いのに、他者のことが気にかかり批判する。「必要なことはそんなに多くない」とのイエスの言葉は、多忙の中でなすべきこと忘れている私たちが銘記すべき言葉であろう。
−ルカ10:38-42「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った『主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください』。主はお答えになった『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない』」。

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