1.中風の人の癒しが論争になった
・イエスはカペナウムを基点にガリラヤ伝道を行われ、家(ペテロの家と思われる、1:29参照)には、話を聞くために、大勢の人が集まってきた。イエスは彼らに福音=神の国の到来を語られた。
−マルコ2:1-2「イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」。
・そこに四人の人が中風の男を運んできたが、群衆が多くて家に入れず、男たちは屋根をはがして中風の人をイエスの前に降ろした。イエスはそこまで熱心に救いを求める人々に感動され、中風の男を癒される。
−マルコ2:3-5「四人の男が中風の人を運んで来た。かし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」。
・「あなたの罪は赦される」、当時は罪により病気になると思われていた。だからイエスは病人に赦罪の言葉を最初に与えられた。その言葉に律法学者たちは反発する「神を冒涜する言葉だ」と。
−マルコ2:6-7「そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。『この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか』」。
・イエスは彼らに言われた「神の国は既に来ている。神が彼を癒されたのに何故共に喜べないのか」と。
−マルコ2:8-10「イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた『なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人にあなたの罪は赦されると言うのと、起きて、床を担いで歩けと言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう』」。
・中風の人は癒された。話の主題は癒しではなく、論争だ。人の癒し、神の国の到来を喜ばない者たちとの戦いだ。イエスは自らの命をかけて戦われている。一連の論争の後、パリサイ人たちはイエスを殺す相談を始める(3:6)。
−マルコ10:45「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。
2.徴税人との会食が論争になった
・イエスは収税所にいるレビを招かれた。当時の徴税人は異邦人のために働く者として、また不正を行う者として社会から排除されていた。しかし、イエスは徴税人レビに声をかけられた(マタイ9:9ではマタイとなっている)。
−マルコ2:13-14「イエスは・・・通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、『私に従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」。
・当時のラビ(教師)は徴税人とは付き合わなかった。レビは徴税人の自分に声をかけてくれたイエスに感謝し、食事に招いた。レビの仲間も来た。パリサイ人はそれを見て「イエスは罪人と共に食事をしている」と非難した。
−マルコ2:15-16「イエスがレビの家で食事の席に着いておられた時のことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。・・・ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、『どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った」。
・徴税人は異邦人のために働く故に汚れ、罪人は律法を守らぬ故に汚れているとされた。しかし、イエスは「人を罪人扱いして排除するあなた方の生き方を神は喜ばれない」と批判された。
−マルコ2:17「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである』」。
・「人を罪人扱いにして排除する」、パリサイ人だけが行った行為ではない。初代教会も行った罪だ。マルコはこの記事を通して、無割礼の異邦人と食事をしない、教会内のユダヤ主義者にも悔い改めを迫っている。
−使徒11:2-3「ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。
・ユダヤ人が割礼を誇ったように、私たちが洗礼を誇り「洗礼なしには救いなし」と主張した時、私たちもまた神の国を妨げる者になる。イエスは誰をも排除されない。救いは神の事柄であり、人間が決定すべきことではない。
−マタイ23:13「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」。
・私こそ罪人なのに、イエスは声をかけてくれた。そこに物語の中心がある。レビの物語は私たちの物語なのだ。
−?コリント1:28「神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです」。