1.テサロニケでの伝道の成功と失敗
・パウロとシラスはピリピで牢から解放され、テサロニケに行った。ここでも二人はユダヤ人会堂を拠点に伝道を行い、信じる者が生まれた。テサロニケ教会の誕生である。
−使徒言行録17:1-4「パウロとシラスは・・・テサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き・・・『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また『このメシアは私が伝えているイエスである』と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」。
・パウロたちの伝道で回心した人々の多くは、「神をあがめる人々=ユダヤ教に改宗した異邦人」だった。ユダヤ人の多くは信じず、自分たちの会堂に集まる異邦人を分裂させるパウロたちを憎み、排撃した。
−使徒言行録17:5-8「ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしている、ならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った『世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。・・・彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています』。これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した」。
・ユダヤ人が当局にパウロたちを告発した罪状は、「ローマ皇帝が王ではなく、イエスこそ王だと主張する者がいる」という反逆の訴えだった。これはイエスがユダヤ人に告発された理由と同じである。
−ルカ23:1-2「全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っている』」。
・この告発は正当だ。キリスト者は、「イエスこそ世界の支配者であり、皇帝も王もまた天皇も、人に過ぎない」と主張する。キリスト者の生き方は、必然的にこの世の支配と衝突する。
−ヨハネ15:19「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。私があなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」。
2.アテネでの伝道の失敗の教えるもの
・テサロニケを追われたパウロたちはベレアに行くが、そこでも信じる者と信じない者が分かたれ、信じない者は迫害者となり、パウロは難を避けてアテネに行く。アテネに偶像があふれているのを見て、パウロはここでも伝道を開始する。ソクラテスやプラトンを生んだ知性の町は、同時に偶像にあふれた迷信の町でもあった。
−使徒言行録17:16-17「パウロはアテネで・・・町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた」。
・パウロは哲学者とも議論したが、彼らは好奇心から話は聞くが、それを人生の大事な事柄としては受け入れなかった。知的好奇心から聖書を読むが、それ以上の関わりを拒否する現代日本のインテリたちと同じだ。
−使徒言行録17:18「エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』と言う者もいれば『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい』と言う者もいた」。
・人々はパウロを集会所(アレオパゴス)に連れて行く。そこでパウロは説教するが、話がイエスの復活になると、人々はパウロを嘲り、離れていった。復活は知性では理解できない事柄だからだ。
−使徒言行録17:32「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」。
・この経験はパウロの宣教方針を大きく変えた。パウロは、アテネでは、相手の求めに応じてギリシャ人の思想を用いて語ったが、以後は話すべきことを語るようになる。次の宣教地コリントでは彼は神の言葉のみを伝える。
−?コリント2:1-5「兄弟たち、私もそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、私はあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、私は衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」。
・神の言葉は力を持つ。アテネでも少数の者は信じた(使徒言行録17:33)。この少数者こそ宝なのだ。
−ローマ11:4「私は、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいたと告げておられます」。