1.イコニオンでの宣教と迫害
・パウロたちはアンティオキアを経て、ガラテヤ地方のイコニオンに向かった。そこでもユダヤ人会堂を足場に宣教を続けた。信じる者が与えられたが、同時に迫害者も生まれた。
−使徒言行録14:1-2「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた」。
・パウロたちが伝道の拠点にしたのは各地のユダヤ人会堂だった。国を滅ぼされ、バビロンに捕囚されて神殿礼拝が出来なくなったユダヤ人は、それぞれの地で安息日ごとに会堂に集まり、聖書を読み、礼拝を捧げるようになる。ユダヤ民族の苦難と離散を通して、福音宣教のための拠点が用意されていく。神の不思議な計画である。
−イザヤ61:6-9「あなたたちは主の祭司と呼ばれ、私たちの神に仕える者とされ、国々の富を享受し、彼らの栄光を自分のものとする。・・・ 彼らの一族は国々に知られ、子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう。これこそ、主の祝福を受けた一族である、と」。
・パウロたちは迫害の中でも留まり続けたが、住民たちからのリンチの危険を知り、そこを去りリストラに移る。しかし新しい地でも彼らは福音を語り続ける。
−使徒言行録14:3-7「二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされた・・・異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした時、二人は・・・リストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ知らせていた」。
・イエスが来られたのは人生を楽にするためではなく、偉大にするためだ。教会は世と妥協するためではなく、世に悔い改めを求めていく。その時に迫害と言う試練を与えられ、教会は鍛えられていく。世の宗教は人生から苦しみを取り除き、利益と幸福を約束する。聖書は私たちに苦しみを受けることも恵みと教える。
−ピリピ1:29「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」。
2.リストラでの宣教と迫害
・リストラでパウロは足の悪い人をいやした。これを見た人々はパウロたちを神として崇め始めた。
−使徒言行録14:8-12「リストラに、足の不自由な男が座っていた・・・この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ・・・『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ・・・『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお降りになった』と言った。そして、バルナバを「ゼウス」と呼び・・・パウロを「ヘルメス」と呼んだ」。
・パウロたちは、自分たちはあなた方と同じ人間に過ぎないと言って、崇めるのを止めさせた。
−使徒言行録14:15「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。私たちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、私たちは福音を告げ知らせているのです」。
・ところが、他の町から反対者たちが来て群集を扇動すると、彼らは今度はパウロに石を投げ始めた。群衆の人気は気まぐれだ。イエスを歓呼して迎えた群衆がやがてイエスを「十字架につけよ」と叫び始める。
−使徒言行録14:19-20「ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった」。
・パウロたちはデルベから帰国の道につかず、あえて迫害された町々に帰っていく。信徒たちを慰めるためだ。神の国は十字架によって贖われた故に、信徒たちが迫害を受けるのは当然であることをパウロは伝えて歩く。
−使徒言行録14:21-22「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」。
・パウロとバルナバは旅行を終え、アンティオキアに帰り、信徒たちに、神がしてくださった数々の出来事を語った。私たちも教会から派遣され、1週間の旅路を終えて、神の出来事を報告するために、教会へ帰る。
−使徒言行録14:27-28「到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした」。