江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年8月23日祈祷会(ヘブル6章、成熟した信仰者になりなさい)

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1.成熟した信仰者になれ

・著者は読者に「バプテスマを受けて何年もたっているのに、まだあなたがたは幼子に留まっている」と言う(5:12)。洗礼志願者には初歩の教理が教えられるが、今のあなた方に必要なものは信仰の実践だ。あなた方は光を見たのにまだ闇を歩いている。この世の人と同じように歩いているではないか。
―ヘブル6:1-3「だから私たちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。神がお許しになるなら、そうすることにしましょう」。
・教えの初歩から離れて成熟した信仰を持たなければ、あなたは恵みの座から脱落するかもしれない。敵はあなたを迫害しようとしている。あなたが迫害に負けて信仰を捨てれば背教者になる。背教者は滅びるのだ。
―ヘブル6:4-6「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです」。
・土地は実を結ぶために開墾され、手入れされる。もし実を結ばなければ呪われる。あなた方は実を結ばず切り倒されるべきなのに、キリストの執り成しにより猶予されている存在なのだ(ルカ13:6―9参照)。
―ヘブル6:7-8「土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、焼かれてしまいます」。
・愛する人たち、あなた方はいただいた永遠の命を死ぬな。恵みから落ちるな。あなた方の困窮は信仰に対する迫害から生じている。神はそのことを知っておられる。だから猶予されておられるのだ。
―ヘブル6:9-11「愛する人たち、こんなふうに話してはいても、私たちはあなた方について、もっと良い事、救いにかかわる事があると確信しています。神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕える事によって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるような事はありません」。

2.信仰の先達を見つめよ

・最後まで希望を持ちなさい。信仰と忍耐によって約束のものをいただいた信仰の先達たちを見つめて欲しい。
―ヘブル6:11-12「最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです」。
・アブラハムのことを考えなさい。アブラハムに最初の約束がなされたのは彼が75歳の時だった(創世記12:7)。彼に子が与えられたのは100歳の時であった(創世記21:1-5)。彼は25年間も約束を信じて待ったのだ。
―ヘブル6:13-15「神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、『私は必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす』と言われました。こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです」。
・その待ち望んだ子を捧げよとアブラハムは命じられた。彼はなぜ神がそのような命令をされるのか、わからないままに信じて捧げた。だから神から約束ばかりか誓いの言葉さえいただいたのだ(創世記22:16-18)。
―ヘブル11:17-19「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる』と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です」。
・神は約束され、その約束を保証するために誓いさえ立てられている。この二つの確かさの中に私たちはいる。
―ヘブル6:17-18「神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来た私たちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです」。この事柄に関して、神が偽ることはありえません」。
・この希望の確かさは荒海を旅する船の錨のようなものだ。古代教会では殉教者の遺体を収める棺に錨を描いた。死を超えて神の約束は確かだとのしるしである。大祭司キリストが為されたことはその錨を与える行為なのだ。
―ヘブル6:19-20「私たちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。イエスは、私たちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです」。

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