江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年8月16日祈祷会(ヘブル書5章、大祭司キリスト)

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1.大祭司としてキリストは死なれた

・イスラエルでは大祭司が民のためにとりなしの犠牲を捧げ、罪の赦しを祈る。大祭司の要件は、神から任命されたこと、民の弱さを思い知ることの二つであった。大祭司は、人間から出て人間のために行為する。
―ヘブル5:1-2「大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです」。
・大祭司は毎年7月10日に至聖所に入り、まず自分と家族のためにいけにえを捧げ、それから民のためにいけにえを捧げた。自らを清めた後、民の罪をとりなすことが求められた。
―レビ記16:11-16「アロンは自分の贖罪の献げ物のための雄牛を引いて来て、自分と一族のために贖いの儀式を行うため、自分の贖罪の献げ物の雄牛を屠る。・・・次に、民の贖罪の献げ物のための雄山羊を屠り、その血を垂れ幕の奥に携え、さきの雄牛の血の場合と同じように、贖いの座の上と、前方に振りまく。こうして彼は、イスラエルの人々のすべての罪による汚れと背きのゆえに、至聖所のために贖いの儀式を行う」。
・キリストはバプテスマの時に、神から召しを受け、大祭司となられた(マルコ1:9-11参照)。
―ヘブル5:4-5「この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、『あなたは私の子、私は今日、あなたを産んだ』と言われた方が、それをお与えになったのです」。
・またキリストは十字架の前夜、血の汗を流して祈られた。そのことを通して自分の罪を清められたのである。
―ヘブル5:7「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」。
・そして自らが犠牲となって、民のために血を流された。私たちの罪のために死んでくださったのだ。自らも苦しまれたゆえに、御子は大祭司としての職務をまっとうされたのだ。
―ヘブル7:27−28「この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです」。

2.この人に従う

・あなた方はキリストに従うことを決意し、バプテスマを受けて長い信仰生活を送ってきた。あなた方は教師として他の人を教え諭すべきなのに、まだ自分の救いや苦難を問題にして入る。それでは乳飲み子ではないか。
―ヘブル5:11-12「このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです」。
・固い食べ物を食べる、成熟したクリスチャンになれというのである。未熟なクリスチャンは自分の救いを求める。成熟したクリスチャンは他者の救いをとりなす。もう自分は救われているからだ。
―ヘブル5:13-14「乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです」。
・成熟したクリスチャンの祈りがゲッセマネにある。キリストは十字架の杯を取り除く事を父に求められたが、最後には「御心がなりますように」と祈られた(新生讃美歌73番「良き力に我かこまれ」参照)。
―ルカ22:42-44「『父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください』。すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」。
・いつまでも自我にとらわれるな、自我から解放されよ、成熟したクリスチャンとなれ。
―?コリント3:1-3「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」。

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