江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年10月4日祈祷会(ヘブル11章23-40節、信仰の先人たちに学ぶ?)

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1.モーセの信仰

・著者は11章から信仰の先人たちを語る。前半ではアベル、エノク、ノア、そしてアブラハムの信仰が語られた。11章の後半でも著者は信仰の先人たちの事跡をたどる。信仰によりモーセの両親は「生まれてくる男の子は殺せ」とのエジプト王の命にそむき、信仰によりモーセは王宮を捨てて荒野に赴いた。
―ヘブル11:23-26「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。・・・信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」。
・モーセは王宮に留まることも出来た。そうすれば平穏な日々が待っていた。しかし、彼は召命に応え、荒野に出て行った。そのことを著者は「キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝に勝る富と考えた」と表現する。
―ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです・・・彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」。
・信仰によって、イスラエルの民は過越しの子羊の血を門柱に塗って死を免れ、開かれた海を渡って救われた。著者はキリストが十字架上で過越しの子羊として死なれ、続く者もバプテスマを受けることによって救われると理解している。
―ヘブル11:28-29「信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました」。
・モーセ以降の者たちの信仰も同じだと著者は言う。彼らもまた信仰によって、弱かったのに強くされた。
―ヘブル11:32-34「信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」。

2.マカベヤ時代の人々の信仰

・35節以降はマカベヤ時代の苦難を念頭において記事が書かれている。読者の父や祖父の時代に起こった迫害である。
―ヘブル11:35-38「女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです」。
・マカベヤ時代、シリヤ王アンテイオコスは神殿にゼウス像を建てて拝むように強制し、従わない者は処刑した。彼は聖書を燃やし、割礼を禁止し、幼児に割礼を施した母親を子もろとも殺し、幼児の死体を母親の首にかけてさらした。迫害の中で、ダニエルは神に訴える「あなたは何故、このような暴虐の振舞いを許されるのか、何時までこのような苦しみは続くのか」。そのダニエルの問いに答えて幻が示され、勝ち誇るアンテイオコスやがて滅びると啓示される。
―ダニエル7:11-12「この角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた」。
・地上の権力は、神が許して置かれる期間だけ、生き長らえる。今、地上で猛威をふるう圧制者アンテイオコスでさえ、人間にしか過ぎない。神を信じる時、どのような圧制者、権力者も恐れるに足らぬ存在になる。
―ダニエル3:17-18「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
・これがアウシュビッツにおいて、ユダヤ人が見出した信仰だ。今、彼等の前に、ヒトラーとその配下がいる。多くの仲間が殺され、自分たちも殺されようとしている。それにも関わらず、ヒトラーの上にも神の支配が厳然としてあり、「定めの時が満ちた時」、ヒトラーは裁かれるであろうとダニエル書は告げる。彼らはこの信仰に立って、「神の平安がありますように」とお互いを祝福して、ガス室の中に入って行った。人間にとって恐ろしいのは、苦しみに圧倒されて、目の前の問題だけが大きくのしかかり、その苦難の意味や自分が今、どこに立っているのかがわからなくなった時だ。人が山に上る時、頂上が見えていれば現在の苦しみにも耐えられる。神はダニエルに「地上ではなく天を見よ、天ではこの苦難を終らせるための会議が既に開かれている」と示された。
―ヘブル11:39-40「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、私たちのために、更にまさったものを計画してくださったので、私たちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」。

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