2006年8月30日祈祷会(ヘブル7章、祭司として生きる)

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1.祭司キリスト

・ユダヤ人の間ではイエスはレビ族の出身ではないから正統な祭司ではないとの批判があった。ユダヤ教の中核は罪の購いのための犠牲の奉献であり、執り行うのはレビ族の祭司であった。著者は人の立てた祭司制度が機能しなかったゆえに、新しい祭司=キリストが立てられたのだと主張する。
―ヘブル7:11-15「もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば・・・一体どうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。・・・私たちの主がユダ族出身であることは明らかです・・・このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです」。
・メルキゼデクの意味は義の王、平和の王である(メルク=王、ゼデク=義、サレム=平和)。彼はメシアの予表であり、キリストの先駆者であった。アブラハムはメルキゼデクから祝福を受け、彼に捧げものを捧げた。
―創世記14:17-20「アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、・・・いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った『天地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された、いと高き神がたたえられますように』。アブラムは全ての物の十分の一を彼に贈った」。
・アブラハムからイサクが、イサクからヤコブが、ヤコブからレビが生まれ、レビ族からモーセとアロンが出た。とすれば、レビ人もまたメルキゼデクに捧げものをし、彼から祝福を受けたことになるのではないかと著者は説く。
―ヘブル7:4-10「族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。・・・レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。・・・十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります」。
・神はモーセの律法とアロンの祭儀によってイスラエルを救おうとされたが、人間の罪のため、それは出来なくなった。それゆえにアロンの系統とは別な祭司(メルキゼデク=キリスト)を立てられ、新しい救いを計画された。
―ヘブル7:16-19「この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。なぜなら、『あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である』と証しされているからです。その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。律法が何一つ完全なものにしなかったからですしかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。私たちは、この希望によって神に近づくのです」。

2.祭司として他者のために生きよ

・律法を全うしない者は滅びるしかない。「姦淫するな、貪るな」と言われても、人は貪り、姦淫する。「隣人を愛せ」と言われても愛することは出来ない。律法は人を救い得ない。律法は人に罪を知らせ、悔い改めに導く役割だ。
―ローマ3:9-20「では、どうなのか。私たちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。・・・律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」。
・人が律法=自力で救われないとしたら、救いは恵みによるしかない。だから、神はキリストを送られた。
―ヘブル7:27-28「この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです」。
・この大祭司キリストを通して救済の道が開かれた。この方は今も天におられ、私たちのために執り成しをされているのだ。この方以外に救いはないのだ。この方を捨てて律法に戻ろうとするな。
―ヘブル7:22-26「このようにしてイエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。・・・イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」。
・私たちも祭司として生きるように招かれている。人生にはいろいろな生き方がある。「人として生まれる人生」、「人として生きる人生」、「人を生かす人生」、「人を生む人生」。祭司的生き方とは、自分のためでなく、人を生かし、人を生んでいく人生だ。この人生を目指せと言われている。
―?ペテロ2:9「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」。

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