1.不従順な教会であっても
・コリントはパウロが設立し、心血を注いで牧会した教会であったが、パウロから背き、福音から離れようとしていた。パウロはコリントを訪問したが、激しい中傷を受け、悲嘆の中にエペソに帰った。その後、弟子テトスに「涙の手紙」と呼ばれる手紙を持たせてコリントへ送り、コリント教会の反省を求めた。
−?コリ10:1-2「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、この私パウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。私たちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。私がそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています」。
・それに対して、コリント教会は深く悔い改め、パウロは喜んで和解の手紙を書いた。それが?コリント1−2章だと言われている。パウロはコリント教会を「神の教会」と呼び、信徒を「聖なる者達」と呼んでいる。
−?コリ1:1-2「パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。
・3節から「慰める」という言葉が続く。神からの慰めなしには、問題含みのコリント教会への手紙は書けない。
−?コリ1:4-5「神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれて私たちにも及んでいるのと同じように、私たちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」。
・パウロはアジア州で死ぬような目にあった。重い病気に陥り、死生をさまよったのかもしれない。しかし、神は救って下さった。この病を通して、問題を自力で解決しようとしていた自分の誤りがわかった。
−?コリ1:8-10「兄弟たち、アジア州で私たちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。私たちは耐えられないほどひどく圧迫されて・・・死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし・・・これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
・あなた方も祈りを通して、宣教の業に参加して下さい。それでこそ、私たちは兄弟になるのですとパウロは訴える。教会とはキリストの体の一部であり、部分は共に苦しみ、共に喜ぶ。
−?コリ1:6-7「私たちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、私たちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたが私たちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。あなたがたについて私たちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、私たちは知っているからです」。
2.パウロの弁明
・パウロはコリントへ行く計画を立てていたが、行かなかった。コリント教会の中には、パウロを「然り」といったのに、今度は「否」というような、無定見な約束を守らない人だと批判する人もいたらしい。
−?コリ1:15-17「私は、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも私が計画するのは、人間的な考えによることで、私にとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか」。
・コリント教会を訪問すれば叱責することになる。そのため、パウロはコリント行きを延期したらしい。
−?コリ1:23-2:2「神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、私がまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。・・・私は、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです」。
・自分を批判し、信頼しない人々をパウロは「誇る」と言う。牧会者は失望の中にあっても教会に対する希望を捨てない。それはキリストが教会の頭であり、主が助けてくださるという信仰があるからだ。
−?コリ1:13-14「私たちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、私たちをある程度理解しているのですから、私たちの主イエスの来られる日に、私たちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとっても私たちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい。」