江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年6月22日祈祷会(?コリント2章、コリント教会に対する憂いと喜び)

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1.コリント教会に対する憂い

・パウロはコリントへ行く計画を取りやめ、コリント教会の人々はパウロの約束違反を批判した。それに対するパウロの弁明が1:23-2:4に述べられている。あなた方のためにコリント行きを取りやめたとパウロは語る。
-?コリ1:23「神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、私がまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです」。
・思いやり=原語では「処罰を控える」である。今、コリントへ行けば厳しい処罰をせざるを得ない、だから行くことを控えた。パウロは前にコリントを訪問し、非難と面罵を受け、傷心の内にエペソに帰った。状況は変わっていない。パウロは自らがコリントへ行くことを断念し、手紙を書いて、テトスに託した。
−?コリ2:1-4「私はそちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。・・・あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。・・・私は、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」。
・その後、あなた方は私を侮辱した人々を処罰したと聞いた。もう十分だ。その人を赦しなさい。
−?コリ2:5-7「悲しみの原因となった人がいれば、その人は私を悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです」。
・罪を犯した者は厳正に処罰しなければならない。処罰なしには悔い改めは生じないからだ。しかし、悔い改めれば赦しなさい。罪を憎むのであって、人を憎むのではないのだから。
−?コリ2:8-10「ぜひともその人を愛するようにしてください。私が前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。あなたがたが何かのことで赦す相手は、私も赦します。私が何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです」。
・罪は罪として償わなければいけない。安易な赦しはしてはいけない。しかし、その人が償った後は赦せ。
−イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と」。

2.コリント教会に対する喜び

・パウロはコリント教会への和解の使者としてテトスを派遣したが、帰りを待ちきれず、トロアスからマケドニアにまで足を伸ばして、コリントの状況を知りたいと願った。パウロはコリント教会のことが心配でならない。
−?コリ2:12-13「私は、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行った時、・・・兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」。
・マケドニアでテトスに会い、彼からコリント教会が悔改めたことを知り、パウロは喜びに満たされた。
−?コリ7:5-7「マケドニア州に着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によって私たちを慰めてくださいました。・・・あなたがたが私を慕い、私のために嘆き悲しみ、私に対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、私はいっそう喜んだのです」。
・パウロは一転して、キリスト賛歌を歌う。それが2:14以降だ。
−?コリ2:14-15「神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神に献げられる良い香りです」。
・ローマの凱旋行軍では、最初に戦争捕虜が行進し、次に香炉を振りまく祭司が続き、最後に将軍と兵士が続く。振りまかれる香りは勝者に対しては命の香りであるが、処刑が待っている敗者にとっては死の香りだ。
−?コリ2:16「滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです」。
・福音の香りも同じだ。受け容れる者には命の香りとなり、拒否する者には死の香りとなる。神の言葉が私たちの前に置かれている。従うものには祝福が、拒絶する者には呪いが与えられる。それは紛れも無い事実なのだ。
−申命記11:26-28「見よ、私は今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、私が命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、私が命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける」。

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