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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年4月13日  ?コリント8章  偶像に供えられた肉

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1.偶像に供えられた肉

・コリント教会では、偶像に供えられた肉を食べても良いのかで論争があった。当時、神殿に供えられた牛や羊の肉が払い下げられて、市中に出回っていた。ある人々はそのような肉を食べるのは罪だと考えていた。
−使徒行伝15:28-29「聖霊と私たちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」
・自由主義者は「偶像の神などいないのだから、神殿に供えられた肉を食べても良い」として、肉を食していた。
−?コリ8:4「偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、私たちは知っています」。
・別の人たちは、偶像に供えられた肉を食べることは罪だと考えていた。
−?コリ8:7「ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです」。
・問題は偶像に供えられた肉を食べるのが良いのかどうかではなく、それを罪だと考える人をどう配慮するかだ。
−?コリ8:8-10「私たちを神のもとに導くのは、食物ではありません。・・・ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか」。
・肉を食べてはいけないと考える人のためにもキリストが死んで下さったことを、あなたはどう思うのか。
−?コリ8:11-12「あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです」。
・神殿に供えられた肉を食べることが罪とは思わないが、傷つく人がいる以上、私は食べないとパウロは言う。
−?コリ8:13「食物のことが私の兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後決して肉を口にしません」。

2.違う人に配慮すること、それが愛だ。

・ローマ教会でも同じような争いが起こっていた。
−ローマ14:1-2「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです」。
・「食べる人は主のために食べるし、食べない人は主のために食べない。このように食べ物のことで争うのを主が喜ばれるとあなたは考えるのか」とパウロは問いかける。
−ローマ14:10「なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」。
・ここで問題になっているのは食物ではなく、愛だ。食べない人のことを配慮するのが兄弟愛ではないのか。
−ローマ14:15-16「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」。
・教会を造り上げるのは、誰が正しいかの論争ではなく、違う人を認め合う愛だ。
−?コリ10:23-24「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」。
・神を信じるとは、十字架において示された神の愛と憐れみを信じることだ。人を愛するとは、自分の正しさを捨て、相手の気持ちに配慮することだ。
−?コリ6:6-7「兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」。

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