1.悪しき時代の中でのキリスト者の生き方
・パウロは、今は悪い時代、悪が支配する時だと考えている。その中にあってキリスト者は、この世から遠ざかるのではなく、この世のただ中で、地の塩・世の光として生きていくことだと言う。
−エペソ5:16-17「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい」。
・キリスト者に多くの悪への誘いがあるだろうが、同調するな。塩は塩気を失ってはいけない。
−エペソ5:6-7「空しい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい」。
・世においては、共に酒を飲み、愉快に騒ぐことが友好のしるしになっている。しかし、あなたがたは酔うほどには飲むな。酩酊は人を無防備に導き、罪に誘う。
−エペソ5:18-19「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」。
・世においては、「見ざる、聞かざる、言わず」が大人の知恵とされているかもしれない。しかし、あなたがたは不正を見逃すな、悪を放置するな。その結果、損をするのであれば損を受けよ。神は見ておられる。
−エペソ5:11-14「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らが密かに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです」。
・世のただ中で、キリスト者として生きるには、キリスト者としての身分・召命を再確認することが必要だ。パウロはまず勧める「あなた方は神の子、聖なる者とされたのだから、それにふさわしく生きよ」。
−エペソ5:1「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」。
・神に倣うとは、神がキリストを捧げて下さったように、私たちも自分を捧げることだ。自分を献げるとは自分を捨てることだ。その時、他者に対する貪欲な言葉や、卑猥な言葉が出るはずはない。
−エペソ5:2-4「キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に献げて下さったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい」。
・また、「あなた方は光であるキリストを知ったのだから、光の子として歩め」とも勧める。それは「キリストならどうされるか」(WJWD=What Jesus Would Do)を生活の基準にする事だ。
−エペソ5:8-11「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。何が主に喜ばれるかを吟味しなさい」。
2.キリストと教会、夫と妻
・「お互いに自由なのだから結婚の縛りは重要ではない」という結婚軽視の考え方があり、「肉体は卑しく、性的交わりは悪だ」と結婚を罪悪化する者もいた。パウロは、結婚を、主と教会の関係としてとらえる。
−エペソ5:30-32「私たちは、キリストの体の一部なのです。『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる』。この神秘は偉大です。私は、キリストと教会について述べているのです」。
・キリストと教会のように、夫と妻はあるべきだ。「教会が主に仕えるように、妻は夫に仕えなさい」と命じる。
−エペソ5:22-23「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです」。
・これは夫と妻の従属関係を規定するのではない。役割の違いである。だから、夫にも『キリストが教会の為に死んでくださった』ように、あなたも妻を愛しなさいと求められている。
−エペソ5:25-29「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。・・・夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです」。
・結婚を信仰の問題としてとらえる時、次の言葉が生まれてくる。
−エペソ5:21「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」。