江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年6月30日  ヨハネ15:1-17  私につながっていなさい

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1.イエスこそ、まことのぶどうの木

・イエスと弟子たちは、晩餐の部屋から外に出た。そこにぶどうの木があったのであろう、イエスは「私こそまことのぶどうの木であり、私につながっていなさい」と弟子たちに言われた。
−ヨハネ15:1-2「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。私につながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。」
・イエスは何故「私こそまことのぶどうの木」と言われたのだろうか。イスラエルの民は神の民として選ばれたのに、悪い実しか結ばなかった。だから、神はこれを刈り取られ、新しい枝を接ぎ木される。
−イザヤ5:1-2「私は歌おう、私の愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。私の愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
−イザヤ5:7「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに、見よ、流血。正義を待っておられたのに、見よ、叫喚」。
・良い実を結ばない枝は捨てられる。幹を離れた枝は枯れ、燃やされる。イスラエルの民は捨てられ、あなたがたが代わりに植えられた。あなたがたはイスラエルの犯した過ちを犯すな。
−ヨハネ15:6「私につながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」
・私につながっていなさい。そうすればあなたは良い実を結ぶ。
−ヨハネ15:5「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」

2.キリストにつながる

・神が農夫、キリストはぶどうの木、私たちはその枝だ。イエスを中心とする群、教会こそがぶどうの木なのだ。教会から離れるな。イスカリオテのユダはイエスに失望して離れた。ヨハネの教会でも迫害の中で多くの人が離れて行った。今日でも見えないものを信じ続けることが出来ずに、人は教会を離れていく。
−ヨハネ6:60-66「弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」。イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか」。・・・このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。」
・教会から離れるとは、キリストから離れることだ。キリストから離れるとは枝が幹から離れるようなものだ。離れた枝は枯れる。
−ヨハネ15:4「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。」
・キリストにつながる時、イエスが私たちの内に住まれ、私たちは喜びに満たされて生きることが出来る。
−ヨハネ15:11「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」
・私たちはキリストと言う幹に継ぎ木された枝なのだ。キリストはそのために身を裂いて、私たちを受入れてくれたのだ。私たちがキリストを選んだのではなく、キリストが私たちを選ばれたのだ。
−ヨハネ15:16「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなたがたを任命したのである。」
・パレスチナでは、ぶどうは植えられてから3年は実を結ぶことが許されず、徹底的に刈り込まれることによって命を蓄え、良い実を結ぶように準備される。またその後も、毎年剪定しないと良い実は結ばない。私たちは良い実を結ぶように手入れされた枝だ。そのことを知る時、もう悪い実は結べない。
−1コリント3:16-17「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」

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