江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年4月21日 ヨハネ12:1-11 ベタニアでの油注ぎ

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1.ベタニアでの油注ぎ

・ユダヤ人たちはイエスの人気の高まりを嫉妬し、殺そうとしていた。そこに、マルタとマリアからラザロの回復を祝う食事の招待が来た。イエスは危険を承知で、再び、エルサレム郊外のベタニアに行かれた。
−ヨハネ11:57「祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。」
・イエスがベタニアで食事の席につかれたのは、土曜日、十字架の1週間前である。
−ヨハネ12:1-2「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。」
・そこにマリアがナルドの香油を持ってきて、イエスの足に塗った。部屋は香油の香りで満ちた。
−ヨハネ12:3 「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」
・香油は数百万円もする高価なものだった。マリアは弟ラザロのよみがえりを感謝して、最善の物を捧げた。それは愛のない人から見れば浪費である。
−ヨハネ12:4-5「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』」
・しかし、イエスはマリアの行為を喜ばれた。マリアは彼女の最善を捧げてくれたからだ。
−ヨハネ12:7-8「この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。」

2.最善の物を献げる

・私たちが自分の持つ最善の物を献げる時、神はこれを受け容れてくださる。アベルは最善の物をささげたから受け入れられ、カインは義務として捧げたから受入れられなかった。
−創世記4:3-5「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。」
・香油は、マリアが結婚の準備として、大切に蓄えていたものであろう。彼女はそれを感謝としてイエスに捧げた。ひたむきな愛は見返りを求めない。だから、人を動かす。
−?コリ13:4-7「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
・私たちの行為の多くは「見返り」を求める。見返りを求めずに、生きるとき、私たちはそこに愛を見る。
−ヨハネ10:11-13「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」
・私たちの最上の献げ物は、見返りを求めないひたむきな行為だ。
−マタイ25:37-40「正しい人たちが王に答える。『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか』。そこで、王は答える。『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』
・私たちが他者の中に、キリストの顔を見たとき、私たちはキリストの弟子となる。らい病者のために働いた神経科医の神谷美恵子はらい患者の中にキリストを見ている(神谷美恵子「癩者に」)。
−「何故、私たちではなくてあなたが!あなたは変わってくださったのだ。代わって人としてあらゆるものを奪われ、地獄の責苦を悩みぬいてくださったのだ」

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