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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年5月19日 ヨハネ12:27−50 一粒の麦として死ぬ

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1.一粒の麦としての死

・イエスは最後の時が迫ったことを知られ、「私は一粒の麦として死ぬ」といわれた。
−ヨハネ12:23-24「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
・命の救いに関わる真理は、命そのものを捧げることによってのみ、人の魂に届く。イエスは、宣教は種まきであり、実を結ぶのは十字架を通してであることを知っておられた。
−ヨハネ10:10-11「私が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
・全ての業がそうだ。言葉ではなく、その人の献身の行為を通して、真理は伝えられる。自分の利益を第一義に追求する時、その言葉が何で人を動かそう。
−ヨハネ10:12-13「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」
・十字架による救いとそういうことだ。イエスが自己を放棄されることによって、全ての人に救いが開かれる。しかし、人々はイエスの言葉に驚く。メシアが死ぬとは彼らの理解を超えるからだ。
−ヨハネ12:34 「群衆は言葉を返した。『私たちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。』」

2.多くの人はイエスを受入れない

・多くの人々はイエスを受入れない。
−ヨハネ12:36-37「イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。」
・ヨハネはイザヤの言葉を引用して、その理由を説明する。
−ヨハネ12: 40「『神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。私は彼らをいやさない。』」
・信じることはイエスの正しさを承認すると同時に、自分の側にも悔い改めが起こることだ。悔い改めたとき、その人の生き方は世と対立する。神の真理は、世の真理とは異なるからだ。
−ヨハネ12:42-43「議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。」
・そのような人たちも、十字架に接した時に変えられる。一粒の麦が実を結んだのだ。
−ヨハネ19:38-39「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。」
・イエスは神から派遣されたのに、世はこれを認めなかった。彼らはイエスを拒否したのではなく、神を拒んだのだとヨハネは言う。
−ヨハネ12:44-50「私を信じる者は、私を信じるのではなくて、私を遣わされた方を信じるのである。私を見る者は、私を遣わされた方を見るのである。・・・私を拒み、私の言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。私の語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。なぜなら、私は自分勝手に語ったのではなく、私をお遣わしになった父が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。父の命令は永遠の命であることを、私は知っている。だから、私が語ることは、父が私に命じられたままに語っているのである。」
・私たちも、イエスを通して、神から派遣されて伝道する。その伝道がうまくいかないのは当然だ。伝道もまた挫折を通して実を結ぶのだ。必ず、少数の人は残される。
−ルカ10:16「あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのである。私を拒む者は、私を遣わされた方を拒むのである。」
−詩篇 119:71「苦しみにあったことは、私に良い事です。これによって私はあなたの掟を学ぶことができました。」

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