江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年7月22日  マタイ26:31−56  ゲッセマネ

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1.弟子裏切りの予告(31−35節)

・一同が食事を終え、オリーブ山に向かう途上で、イエスは弟子たちが彼を裏切るだろうと予告される。
―マタイ26:31「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『今夜、あなたがたは皆私につまずく。私は羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまうと書いてあるからだ。』」(ゼカリヤ13:7)
・神がイエスを十字架に渡される時弟子たちは散らされる。それは弟子たちに必要だ。泣かない限り悔い改めはなく、悔い改めがない限り救いはないからだ。しかし、散らされたものには回復が預言されている。
―マタイ26:32「しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
・そこにおいては、人間の思いは何の意味もない。ペテロも低められて初めて、神を認める。
―マタイ26:33-34「するとペトロが『たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません』と言った。イエスは言われた。『はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。』」

2.ゲッツマネにて(36−46節)

・ゲッセマネでイエスは、十字架の杯を取り除いてくださるように父に求める。しかし、父は答えられない。
―マタイ26:39「うつ伏せになり、祈って言われた。『父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに。』」
・イエスが血の汗を流して祈っておられた時、弟子たちは疲れて眠り込んでしまった。しかし、イエスは弟子たちを叱責されない。人間の弱さをご存知だからだ。
―マタイ26:40-41「弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。『あなたがたはこのように、わずか一時も私と共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。』」
・イエスは人として苦しまれた。だから、弱い私たちを救う事が可能になる。
―ヘブル2:18「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」
・イエスは祈り続けることにより、父の御心を知られた。以降のイエスにはもう迷いはない。
―マタイ26:42「更に、二度目に向こうへ行って祈られた。『父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。』」

3.イエスの逮捕(47−56節)

・ゲッセマネにイエスを逮捕する者たちが現れる。彼らは剣や棒を持って来た。
―マタイ26:47「イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。」
・ペテロは彼らに剣で応酬する。しかし、イエスはそれを止めさせられた。剣では何の救いもない。
―マタイ26:51-52「イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。』」
・無抵抗のイエスを見て、弟子たちは逃げる。救い主が無力に捕らえられるとは信じることが出来なかったからだ。この時、弟子たちは信仰を失くした。
―イザヤ53:7-8「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。」
・彼らが信仰を回復したのは、復活のイエスに出会った時だ。誰も見ないと信じることは出来ないのだ。
―ヨハネ20:27-29「トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて『私の主、私の神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」

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