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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年5月7日  マタイ21:33-45  ぶどう園と農夫のたとえ

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1.神殿での問答

・神殿でイエスが教えておられると、祭司長や長老たちが来て、何の権威で教えているのかと問いただした(21:23)。その問いかけに対して、イエスはぶどう園と農夫のたとえを語られた。
―マタイ21:33-34「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。」
・主人は当然に豊かな収穫が自分の下に来ることを期待した。しかし、返ってきたのは農夫たちの反抗だった。
―マタイ21:35-36「農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。」
・主人は思った「農夫たちは私の僕たちのことを知らないから、この様な扱いをするのだ。私の息子なら敬ってくれるだろう」。そして息子を送ったところ、農夫たちはこの息子を殺してしまった。

2.たとえの意味するもの

・たとえの意味するところは明らかだ。主人は神であり、ぶどう園は地上だ。神は地上に人間を作り、その支配を任せられた(創世記1:26)。しかし、人間から帰ってきた報酬は不義と不正であった。
―イザヤ5:1-7「わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。・・・イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑/主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに/見よ、流血。正義を待っておられたのに/見よ、叫喚。」
・イエスはイザヤ書を念頭に置かれながら、このたとえを語られた。聖書に精通する祭司長たちもたとえの農夫が自分たちを指していることがわかった。彼らはイエスを捕らえようとしたが、民衆がいて、できなかった。
―マタイ21:45-46「 祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。」

3.人間の罪とは何かがここで問われている。

・私たちはこの地上で生を与えられている。私たちの人生は神から貸与されたものだ。しかし、私たちは自分が人生の主人公でないことに耐えられない。だから他者のものをむさぼる。このむさぼりが争いを引き起こす。
―ヤコブ1:14-15「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」
・神は旅に出ておられる。私たちは人生を自由に生きることを許されている。その時、私たちは自分のものでないものをもほしがる。農夫が、たわわにぶどうの実ったぶどう園を自分のものにしようとするように。
―マタイ21:38「農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』」
・その人間の罪をあがなうために私は来たとイエスは言われる。イエスはここで死を覚悟されている。
―マタイ21:42「イエスは言われた。『聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」
・イエスが命を懸けて教えてくれたから、私たちもいのちをかけてイエスの教えを聞く。
―マタイ20:25-28「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
・その結果、私たちも自分のためではなく、他者のために生きるものとされていく。
―ヨハネ12:24-25「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」

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