江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年4月30日  マタイ21:18−32  信じないものたち

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1.いちじくの木を呪う(21:18−22)

・イエスは空腹を覚えられて、いちじくの木に近づかれたが、実はなく、そのいちじくの木を呪われた。
―マタイ21:18-19「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。」
・いちじくは6月ごろに実を熟すが、過ぎ越しの祭りのころには(4月ごろ)、青い実を結び、貧しい人たちはそれを食べた。このいちじくは実を結んでいなかった。神の選びと祝福の中にありながらその実を実らせないエルサレムの人々への嘆きが、この出来事の背景にある。
―エレミヤ 8:13「わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは彼らから失われていた。」
・これはバプテスマのヨハネが予言していたことだ。実を結ばない木は切り倒される。
―マタイ3:10「 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
・イエスは信じないものを怒られたが、裁かれない。何故ならイエスは彼らのために死のうとされている。
―ルカ23:34「そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。」

2.権威についての問答

・イエスが神殿で教えておられると、祭司長たちが近寄ってきて、何の権威で教えているのかとたずねた。
―マタイ21:23「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」
・人々は外的権威を求める。イエスは律法学者としての学びもしておらず、どこの教派にも属していない。権威を求める人にとって、そのようなイエスが教えることに我慢がならなかった。故郷ナザレの人たちもそうだった。
―ルカ4:22「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
・信仰もまた、外的権威に頼るとき、それは偶像崇拝になる。
―イザヤ1:13「むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙はわたしの忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など、災いを伴う集いにわたしは耐ええない。」

3.二人の息子のたとえ

・ユダヤでは同胞は兄弟と呼ばれる。しかし、長老や祭司長たちは罪びとや異邦人は兄弟と呼ばず、これを排斥した。排斥されたものは他に頼るものがないから、心を貧しくして神を求める。
―ルカ18:10−14「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
・このたとえでは、兄は行ったがしぶしぶだった。弟は行くと言っていかなかった。二人とも救われないだろう。救われるのは自分を捨てて求める者なのだ。
―マタイ21:31-32「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
・罪を認めて悔い改めよ。そうすれば救われる。
―使徒2:38 「ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」

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