1.不倫の誘惑に負けた時
・箴言には「不倫をするな、夫ある女性との交わりを避けよ」という戒めが繰り返し出てくる。不倫は誘惑が大きく、その誘惑に負けた時の代償が大きいことを、箴言の著者は知るからである。
-箴言5:3-8「よその女の唇は蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだ。だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり、両刃の剣のように鋭くなる・・・あなたの道を彼女から遠ざけよ。その門口に近寄るな」。
-箴言6:25-35「彼女の美しさを心に慕うな。そのまなざしのとりこになるな。遊女への支払いは一塊のパン程度だが、人妻は貴い命を要求する。火をふところにかきこんで、衣を焼かれない者があろうか・・・人妻と密通する者は意志力のない男。身の破滅を求める者・・・夫は嫉妬と怒りにかられ、ある日、彼に報復して容赦せず、どのような償いをも受け入れず、どれほど贈り物を積んでも受け取りはすまい」。
・7章では著者は、自分の家の窓から見た光景として、不倫の物語を物語る。彼は愚かな若者が一夜の快楽を求めて、女の家に向かう様子を見た。
-箴言7:6-9「私が家の窓から、格子を通して外を眺めていると、浅はかな者らが見えたが、中に一人、意志の弱そうな若者がいるのに気づいた。通りを過ぎ、女の家の角に来ると、そちらに向かって歩いて行った。日暮れ時の薄闇の中を、夜半の闇に向かって」。
・若者は一人の女に出会う。彼女は熟練した誘惑者であり、未熟な若者を言葉巧みに自分の家に誘う。
-箴言7:10-15「見よ、女が彼を迎える。遊女になりきった、本心を見せない女。騒々しく、わがままで、自分の家に足の落ち着くことがない。街に出たり、広場に行ったり、あちこちの角で待ち構えている。彼女は若者をつかまえると接吻し、厚かましくも、こう言った『和解の献げ物をする義務があったのですが、今日は満願の供え物も済ませました。それで、お迎えに出たのです。あなたのお顔を捜し求めて、やっと会えました』」。
・彼女は若者に「夫は旅に出て不在であり、家には寝床の支度が出来ている」と誘う。
-箴言7:16-20「寝床には敷物を敷きました、エジプトの色糸で織った布を。床にはミルラの香りをまきました、アロエやシナモンも。さあ、愛し合って楽しみ、朝まで愛を交わして満ち足りましょう。夫は家にいないのです、遠くへ旅立ちました。手に銀貨の袋を持って行きましたから、満月になるまでは帰らないでしょう」。
2.不倫は人を人生の墓場に導く
・若者は無抵抗に女に従う。一夜の快楽が彼を墓場に導くことも知らずに。
-箴言7:21-23「彼女に説き伏せられ、滑らかな唇に惑わされて、たちまち、彼は女に従った。まるで、屠り場に行く雄牛だ。足に輪をつけられ、無知な者への教訓となって。やがて、矢が肝臓を貫くであろう。彼は罠にかかる鳥よりもたやすく、自分の欲望の罠にかかったことを知らない」。
・不倫は人を人生の墓場に導く。今までどれほど多くの若者が人生を誤ったことか、著者はその危険性を戒める。
-箴言7:24-27「それゆえ、子らよ、私に聞き従い、私の口の言葉に耳を傾けよ。あなたの心を彼女への道に通わすな。彼女の道に迷い込むな。彼女は数多くの男を傷つけ倒し、殺された男の数はおびただしい。彼女の家は陰府への道、死の部屋へ下る」。
・人生を誤る原因は知恵のなさである。知恵は聞いただけでは十分ではない。知恵の言葉を聞き、それを「心の中の板に書き記」し、その戒めを守らなければ意味がない。
-箴言7:1-5「わが子よ、私の言うことを守り、戒めを心に納めよ。戒めを守って、命を得よ。私の教えを瞳のように守れ。それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。知恵に『あなたは私の姉妹』と言い、分別に『私の友』と呼びかけよ。それはあなたをよその女から、滑らかに話す異邦の女から守ってくれる」。
- 不倫のもたらすもの
・不倫とは、倫理から外れたこと、人の道から外れたことを意味する。近年では特に、結婚制度(一夫一婦制)から逸脱した男女関係、すなわち配偶者のある男や女が配偶者以外の異性と恋愛し、性交を行うことを指して用いられる(配偶者のいない男や女が、配偶者がいる異性と恋愛し、性交を行う場合も含む)。
・不倫の最大の代償は離婚であろう。不倫は民法第770条の離婚事由に相当し、家庭崩壊の場合は配偶者に訴訟を起こされることがあり、慰謝料などの民事責任に問われることになる。厚生労働省「平成21年人口動態統計」では、過去40年間の婚姻数が3202万件、同じく40年間の離婚数が748万件となっており、離婚率は23%、「4組に1組が離婚」と比較的高い数字が出ている。離婚の申立理由は男女ともに「性格が合わない」が1位である(男性の6割、女性の4割)。実際には、他の異性と関係を持ったり、お金を浪費したり、相手に暴力を振るったことが原因で離婚するケースでも,社会的な体裁を気にして「性格の不一致」を理由にすることが多い。
・人は、結婚から大きな利益を得るが、離婚により、その利益は失われる。結婚している男性は、健康で、精神的に安定し、より長生きする。結婚している女性は、独身、同棲、離婚した女性と比較して、経済的に、より豊かになる。ストレスが少なく、幸福感がより強くなる。また両親が結婚している子供は、片親や、親が再婚後の子供と比較して、学業成績がより良好で、精神的なトラブルが少なく、成人してからの社会的地位がより高く、結婚生活もうまく行く。子供は両方の親から多くを学ぶのである。また結婚した家庭は、地域における人間関係の拠点になり、社会のネットワークに貢献する。離婚により、こうした結婚の利点は失われる。
・バージニア大学・ヘザーリントンは、実証的研究を行って次のように述べた。「両親がそろっている子供のうち、精神的に問題が無い子供は90%であり、治療を要するような精神的なトラブルを抱えている子供は10%であるのに対して、両親が離婚した子供では、それぞれ75%と25%である。」(1993年)。離婚が子供に悪影響を及ぼすことについて、多くの国で大規模な追跡調査が行われ、悪影響が実際に存在することが確認された。
4.不倫(姦淫)についてイエスは何を語るのか
・不倫あるいは姦淫について語られる代表的な箇所は「ヨハネ7:53-8:11」であろう。箴言は男性の立場から不倫を語るが、イエスは弱い者の立場から不倫の問題点を語る。
-ヨハネ7:53-8:11「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、神殿の境内に入られると・・・そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った『先生、この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか』・・・イエスは身を起こして言われた『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい』・・・これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか』。 女が『主よ、誰も』と言うと、イエスは言われた『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない』。
・この物語(ヨハネ7:53-8:11)は、新共同訳聖書では〔 〕の中に書かれている。「後代の加筆と見られているが、年代的に古く重要である箇所を示す」しるしである。ヨハネ福音書の古い写本の中には記載がなく、後代の加筆の可能性が高く、資料的な問題があるという記号だ。しかし、伝承そのものは古く、イエスに由来することは争いがない。仮にそうだとすると、当初はルカ福音書21:37-38にあったとみられる記事が何故ルカから外され、ヨハネに統合されたのか。それは罪を犯したにもかかわらず、その罪を無条件に赦すイエスの態度に、教会の人々が戸惑ったからだと思える。
・「十二使徒の教訓(ディダケー)」2:2に「犯してはいけない罪」が列挙されており、最初が殺人、二番目は姦淫である。編纂者は考えた「姦淫のような重い罪を犯した者を無条件で赦せば、教会の秩序は保てない。いくらイエスの言葉だからと言って受け入れがたいではないか」。その結果、この記事は当初は福音書に編入されず、後に福音書の一部として、承認されたと考えられている。しかし、これはイエスの心を斟酌しない解釈だと思える。イエスは言われた「私もあなたを罪に定めない。・・・これからは、もう罪を犯してはならない」、この言葉は無条件の赦しではない。正確に訳せば「もうあなたは罪を犯すことができなくなった」との意味になる。「裁きは為された、しかし処罰が猶予された」、罪を犯したのに赦されるとは、刑の執行が猶予されていることを示す。ここに、人を滅ぼすための裁きではなく、人を生かすための裁きがある。女を律法通り石打の刑で殺した時、一人の命が失われるだけで、そこには何の良いものも生まれない。しかし、女に対する処罰を猶予することによって、女は生まれ変わり、新しい人生を生き始め、やがてその女から命の水があふれ出し、周囲の人を潤し始める。ここに本当の罪の裁き、イエスの為された裁きがある。