江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年7月6日祈祷会(箴言8章、知恵とは何か)

投稿日:

 

 

1.知恵とは何か

 

・箴言8章では知恵が擬人化され、女性型で描かれている(ヘブル語ホクマーは女性名詞、なおギリシア語ソフィアも女性型で示される)。そこでは、浅はかな者や愚かな者たちに、「道を誤るな」と呼びかける知恵が登場する。

-箴言8:1-5「知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか。高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち、城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている。『人よ、あなたたちに向かって私は呼びかける。人の子らに向かって私は声をあげる。浅はかな者は熟慮することを覚え、愚か者は反省することを覚えよ』」。

・知恵は金銀にまさる価値を持つ。何故ならば知恵は人が人生を誤らないように導くからだ。

-箴言8:10-11「銀よりもむしろ、私の諭しを受け入れ、精選された金よりも、知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり、どのような財宝も比べることはできない」。

・現在、大阪では「カジノ誘致」を成長戦略の柱として推進しているが、その結果新たな破産者の群れが生まれるであろう(日本のギャンブル依存症は成人男性の9.6%でアメリカ0.6%、マカオ1.8%に比し飛び抜けて高い。公営ギャンブルやパチンコの存在のためと思われる)。酒や賭博や売春は悪ではあるが、禁止した場合、地下に潜り、より大きな害悪になる。それは必要悪である。しかし必要悪であれ、「公に推進すべきもの」ではない。現在の政治家には「見分ける力」、すなわち知恵が欠けている。知恵がなければ王は君臨できず、支配者は正しい政治は出来ないと箴言は語る。

-箴言8:14-16「私は勧告し、成功させる。私は見分ける力であり、威力をもつ。私によって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める」。

・知恵は求める者には与えられる。箴言が「ソロモンの知恵」と呼ばれるのは、ソロモンは王位継承の始めに、「民を治める」ために知恵を求めたからであろう。

-列王記3:7-9「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、私は取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう」。

・祈りに応えて、彼に知恵が与えられ、その治世は後世にも覚えられた。

-箴言8:17-21「私を愛する人を私も愛し、私を捜し求める人は私を見いだす。私のもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある。私の与える実りは、どのような金、純金にもまさり、私のもたらす収穫は、精選された銀にまさる。慈善の道を私は歩き、正義の道を私は進む。私を愛する人は嗣業を得る。私は彼らの倉を満たす」。

・しかし、ソロモンは晩年には愚かになり、多くの妻妾を持ち(700人の王妃と300人の側室)、異国人の妻たちに勧められてモレク神への幼児奉献さえも行った(列王記上11:3-7)。老化とおごり、高ぶりが彼の人格を壊したのであろう。知恵は求め続けなければ失われる。

-箴言8:35-36「私を見いだす者は命を見いだし、主に喜び迎えていただくことができる。私を見失う者は魂をそこなう。私を憎む者は死を愛する者」。

 

2.創造の初めから共にいた知恵

 

・8:23以下には、知恵が創造の初めから、神と共にいたと箴言は証言する。

-箴言8:22-25「主は、その道の初めに私を造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、私は祝別されていた。太初、大地に先立って。私は生み出されていた、深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、私は生み出されていた」。

・箴言8章の記述は初代教会では、先在のキリストを示すものとして解釈された。ヨハネ福音書冒頭の「ロゴス・キリスト論」は、箴言8章の知恵をロゴス(言葉)に読み替えたものである。

-ヨハネ1:1-3「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」。

・4世紀のニカイア教会会議で、アリウスは箴言8章を「知恵であるイエスが被造物であり、神より劣る」証拠として持ちだし、イエスの神性を否定し、三位一体を唱えるアタナシウス派により異端と宣言された。

-箴言8:25-31「山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、私は生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった。私はそこにいた。主が天をその位置に備え、深淵の面に輪を描いて境界とされた時、主が上から雲に力をもたせ、深淵の源に勢いを与えられた時、この原始の海に境界を定め、水が岸を越えないようにし、大地の基を定められた時。御もとにあって、私は巧みな者となり、日々、主を楽しませる者となって、絶えず主の御前で楽を奏し、主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し、人の子らと共に楽しむ」。

 

3.知恵はキリストなのか

 

・2008年10月22日教皇ベネディクト十六世は155回一般謁見演説で「知恵の受肉こそキリストである」と宣教した。カトリック教会においての伝統的な読み方である

-教皇謁見演説から「パウロは言います『時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者をあがない出して、私たちを神の子となさるためでした』(ガラテヤ4・4-5)。父とともにおられる永遠の『先在』の次元と、『受肉』による主の降下という、この二つの次元は、すでに旧約において『知恵』の姿で告げられています。私たちは旧約の知恵文学のうちに、先在の知恵の役割を、世を創造することにまで高める箇所を見いだします。たとえば造り主である知恵について語る次の箇所もそうです。『主は、その道の初めに私を造られた。いにしえのみわざになお、先立って。永遠の昔、私は祝別されていた。太初、大地に先立って』(箴言8・22-23)。聖パウロはそのキリスト論を展開する中で、このような知恵のあり方に言及します。すなわち、パウロはイエスのうちに、とこしえに存在する永遠の知恵を認めます。この知恵は降ってきて、私たちの間に幕屋を張ります。こうしてパウロは、キリストが『神の力、神の知恵』であり、『私たちにとって神の知恵となり、義と聖とあがないとなられた』(一コリント1・24、30)ということができました」。

・確かにパウロはキリストを「神の知恵」と呼び(1コリント1:24)、パウロの後継者の書いたコロサイ書は箴言8章をギリシア語で翻案してイエスの神性を証しする。

-コロサイ1:15-17「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」。

・箴言8章をキリスト論的に読む読み方は解釈としてあっても良いが、基本的には慎むべきであろう。旧約聖書はあくまでも旧約聖書として読むべきであって、箴言の著者はキリストの予型として知恵を記述したわけではない。初代教会はイザヤ7章のインマヌエル預言をキリスト誕生のしるしと読む。

-マタイ1:21-23「『マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』。このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』。この名は『神は我々と共におられる』という意味である」。

・しかし本来は時の王アハズに向けられたイザヤの言葉で、キリスト誕生を預言するものではない。旧約は旧約の文脈の中で読むべきであろう。

-イザヤ7:14-16「私の主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで、彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.