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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年6月30日祈祷会(詩編108篇、旧い詩編を今に活かす)

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1.詩編108:1-6は詩編57:8-12を引用する

 

・詩編108編は詩編57編と詩編60編を合わせたモザイク詩編である。詩篇108編1-3節相当するのは、詩篇57編8-9節である。

-詩篇108:1-3「歌。賛歌。ダビデの詩。神よ、私の心は確かです。私は賛美の歌をうたいます。『私の誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。私は曙を呼び覚まそう』」。

-詩編57:8-9「私は心を確かにします。神よ、私は心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、私の誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。私は曙を呼び覚まそう」。

・同時に詩篇108編4-6節に相当するのは詩篇57編10-12節である。

-詩篇108:4-6「主よ、諸国の民の中で私はあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。

-詩編57:10-12「主よ、諸国の民の中で私はあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」。

・詩人の敵は中傷と偽りの告訴で詩人を痛めつけていた。詩人は罠をかけられ、危機の中にある。詩人は夜を徹して祈る。そして朝を迎えた。その朝の光に中で、詩人は神の救いを確信し、「私の心は定まりました」と告白する。詩人の祈りに神は答えて下さった。その確信を与えられ、彼は感謝する。本詩は教会の中で復活節の中で読まれてきた。夜の闇は過ぎ去り、復活の朝が来たからである。どのような苦難も過ぎ去る。あるいは静かにしていれば、その苦難から脱出する細い道が見えて来る。

 

2.詩編108:7-14は詩編60:7-14を引用する。

 

・後半の108編7-14節は60編7-14節からの引用である。

-詩篇108:7-10「あなたの愛する人々が助け出されるように、右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。神は聖所から宣言された。『私は喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドは私のもの、マナセも私のもの、エフライムは私の頭の兜、ユダは私の采配、モアブは私のたらい。エドムに私の履物を投げ、ペリシテに私の叫びを響かせよう。」

-詩篇60:7-10「あなたの愛する人々が助け出されるように、右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください。神は聖所から宣言された。『私は喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドは私のもの、マナセも私のもの、エフライムは私の頭の兜、ユダは私の采配、モアブは私のたらい。エドムに私の履物を投げ、ペリシテに私の叫びを響かせよう』」

・同じく108編11-14節は60編11-14節の引用である。

-詩篇108:11-14「包囲された町に、誰が私を導いてくれるのか。エドムに、誰が私を先導してくれるのか。神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは、我らと共に出陣してくださらないのか。どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。

-詩編60:11-14「包囲された町に誰が私を導いてくれるのか。エドムに、誰が私を先導してくれるのか。神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは我らと共に出陣してくださらないのか。どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。

 

3.編集詩の与えられた意味を考える

 

・詩編57編、60編はいずれも、バビロニヤ軍によって都が焼かれ、人々は殺され、指導者たちは連れ去られ、残った民は周辺諸国に避難する状況の中で書かれた詩である。その状況は現在も変わらない。詩人は苦闘し、悲しみの中にあり、主を賛美することができない。だから過去の讃美を用いて主を賛美する。私たちも祈れない時は主の祈りを祈れば良い。

-詩編108:2-5「神よ、私の心は確かです。私は賛美の歌をうたいます。私の誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。私は曙を呼び覚まそう。主よ、諸国の民の中で私はあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います」。

・詩人の切なる願いは6-7節に表明されている「私たちを救って下さい。私たちはあなたの民なのです」と。

-詩編108:6-7「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください。あなたの愛する人々が助け出されるように、右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください」。

・その願いに答えて主が応答される。詩人はその応答を詩編60編7-10節の中に見た。

-詩編108:8-10「神は聖所から宣言された『私は喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドは私のもの、マナセも私のもの、エフライムは私の頭の兜、ユダは私の采配、モアブは私のたらい。エドムに私の履物を投げ、ペリシテに私の叫びを響かせよう』」。

・ダビデ・ソロモンの統一王朝時代、モアブもエドムもペリシテもイスラエルの支配下にあった。しかしイスラエルがバビロニヤにより滅ぼされると、周辺諸国は領内を侵略し、占領した。特にエドム人はヘブロン付近まで占領し、イスラエルの恨みを買った。彼らが後のイドマヤ人(ヘロデ王の出身部族)を形成する。詩人は苦難の中で出口を見つけることができない。

-詩編108:11-12「包囲された町に、誰が私を導いてくれるのか。エドムに、誰が私を先導してくれるのか。神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは、我らと共に出陣してくださらないのか」。

・出口のない苦難の中で詩人は祈る。この苦難から救い出してくださるのは主しかいない事をしるからだ。

-詩編108:13-14「どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます」。

 

4.詩篇108編の黙想

 

・「人間による救いは空しい」、だから詩人は神に頼る。しかし為政者たちは目の前の苦難を他国の支援により、切り抜けようとする。エジプトに頼った北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、エジプトの支援を期待してバビロニヤに反旗を翻したユダ王国も滅ぼされていく。故に預言者たちは、為政者による軍事大国依存を「人間による救い」を求めるとして批判した(月本昭男「詩篇注解」から)。

・イザヤは現実の世界政治の中に主の働きを見た。世界の統治は武力を誇るアッシリアやエジプトによって為されるのではなく、諸国を支配される主の統治による。終わりの日には諸国民はそれを知り、こぞってエルサレムに集い、主の平和を求めるだろうとイザヤは預言した。

-イザヤ2:4「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。

・「終わりの日には」、終末預言は現在に対する絶望から来る。現実の政治に絶望する故に、イザヤは問題の解決を神に求めた。イザヤ2:4は、NYの国連ビルの土台石に刻み込まれている。戦争の惨禍を経験した諸国は、「もう戦争はしない」と願い、イザヤの預言を刻んだ。しかし言葉を刻んだだけでは平和は来ない。平和は人間が自分の限界、無力を知った時に来る。国が滅ぼされ、民が悔い改めた後にしか、平和は来ない。日本は1945年に戦争に負けた。もう兵器はいらなくなり、砲弾にするために兵器工場に集められた鉄が鋳られ、釜や鍬が作られた。戦争に負けたからこそ、日本人はイザヤの預言を実現できた。

・日本は敗戦の悔い改めの上に平和憲法を作成した「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)。しかし、現実世界の中で、「人間相互の関係」は「崇高な理想」によって支配されてはおらず、「平和を愛する諸国民」は「公正と信義」を持っていない。戦争をやめることが出来ない歴史を持つ人間に信頼して、「安全と生存を保持する」ことは不可能だ。

・日本国憲法は人間の目から見たら愚かであり、非武装で国を守れるはずがないと多くの人が思っている。ロシアのウクライナ侵略を見て、長らく中立を守ってきたフィンランドとスウェーデンもNATOの軍事同盟に加入申請した。もしかし、神の目から見れば、違う視点が与えられる。カトリック中央協議会は2003年度の声明の中で次のように述べる「日本は憲法9条を持つことによって国を守ることを放棄したのではありません。戦力を持たないという方法で国を守り、武力行使をしないで国際紛争のために働くと誓ったのです」。詩編作者の嘆きは現在も続いている。

・「キリストが神の右の座に着いておられる」、それが私たちの信仰だ。1968年、チェコの社会主義改革がソビエト軍の戦車によって踏みにじられた。その年の十二月、バルトは友人トゥルンナイゼンと電話で話した。トゥルンナイゼン「時代は暗いね」、それに対してバルトも「実に暗い」というお話をこもごもし合う。その晩、バルトは亡くなった。バルトの最後の言葉が残されている。

-カール・バルトの最後の言葉「意気消沈だけはしないでおこう。何故なら、支配していたもう方がおられるのだから。モスクワやワシントン、あるいは北京においてだけではない。支配していたもう方がおられる。神が支配の座についておられる。だから、私は恐れない。最も暗い瞬間にも信頼を持ち続けようではないか。希望を捨てないようにしよう。すべての人に対する、全世界に対する希望を。神は私たちを見捨てたまいはしない」(エバハルト・ブッシュ「バルト神学入門」新教出版社)。

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