江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年6月23日祈祷会(詩編107篇、贖われる主に感謝せよ)

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1.救いの歴史を振り返る

 

・詩編107編は第五巻の最初の詩編であり、「民を導き、求める者に救いをもたらす主」を賛美した歌である。「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」という告白が繰り返され(107:6,13,19,28)、それ故に「主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる」という感謝が繰り返される(107:8,15,21,31)。詩は捕囚によって散らされた民を集めて下さった主への感謝から始まる。

-詩編107:1-3「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえにと。主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い、国々の中から集めてくださった、東から西から、北から南から」。

・離散した民が新国家再建のためにエルサレムに集められた。散らされた民の集結は旧新約聖書を貫くテーマであり、イエスも「イスラエルの失われた羊を集めるために来た」と言われた(マタイ10:5-6)。捕囚の民は解放されてエルサレムに帰還した。間には1000㎞を超える荒野や砂漠が拡がる。その荒野を捕囚民は歩き、飢えと渇きの中で主を求め、主はそれに応えて、エルサレムまでの旅路を守って下さった。

-詩編107:4-9「彼らは、荒れ野で迷い、砂漠で人の住む町への道を見失った。飢え、渇き、魂は衰え果てた。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと・・・主はまっすぐな道に彼らを導き、人の住む町に向かわせてくださった・・・主は渇いた魂を飽かせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった」。

・捕囚民は「闇と死の陰に置かれ、貧苦と鉄の枷に縛られていた」(イザヤ42:22)。それは民が「神の仰せに反抗し、いと高き神の御計らいを侮った」(イザヤ42:24)からだ。しかし主は民をその苦しみから解放して下さった。

-詩編107:12-16「主は労苦を通して彼らの心を挫かれた。彼らは倒れ、助ける者はなかった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らの苦しみに救いを与えられた。闇と死の陰から彼らを導き出し、束縛するものを断ってくださった」。

・捕囚の民は背きと罪の故に捕らえられ、死の床で悶え苦しんでいた。苦難の中で主を求めると主は御言葉をもって彼らをいやし、救い出して下さった(イザヤ40:1-2)。

-詩編107:17-22「彼らは、無知であり、背きと罪の道のために、屈従する身になった。どの食べ物も彼らの喉には忌むべきもので、彼らは死の門に近づいた。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと・・・主は御言葉を遣わして彼らを癒し、破滅から彼らを救い出された。主に感謝せよ・・・感謝のいけにえをささげ、御業を語り伝え、喜び歌え」。

 

2.主の摂理を思う

 

・22節からは海難にあえぐ者の救いが歌われる。海を通ってエルサレムに集められた民もいたのであろう。

-詩編107:23-32「彼らは、海に船を出し、大海を渡って商う者となった。彼らは深い淵で主の御業を、驚くべき御業を見た。主は仰せによって嵐を起こし、波を高くされたので、彼らは天に上り、深淵に下り、苦難に魂は溶け、酔った人のようによろめき、揺らぎ、どのような知恵も呑み込まれてしまった。苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので波はおさまった。彼らは波が静まったので喜び祝い、望みの港に導かれて行った・・・民の集会で主をあがめよ。長老の集いで主を賛美せよ」。

・主の摂理の手は海にまでも及ぶ。イエスもまたガリラヤ湖で嵐を鎮められた(マタイ8:23-27)。主は大河を荒野とすることもお出来になるし、砂漠を湖とすることもお出来になる。私たちは主の恵みで水や食べ物を与えられ、毎日を生きることが出来る。

-詩編107:33-38「主は大河を荒れ野とし、水の源を乾いた地とし、住む者の悪事のために実り豊かな地を塩地とされた。主は荒れ野を湖とし、砂漠を水の源とし、飢えていた人々をそこに住まわせ、人の住む町を固く立てられた。彼らは野に種を蒔き、ぶどう畑を作り、作物を実らせた。主が祝福されたので彼らは限りなく増え、家畜も減らされることはなかった」。

・しかし人間の罪はこの摂理の秩序を崩しつつある。死海が流入するヨルダン川の過剰取水のために消滅しつつある。イスラエル、パレスチナ、ヨルダン三カ国は長さ200キロの運河を建設して紅海から死海に年間20億立方メートルの海水を引く計画を立て、合意した。この計画をどう評価したら良いのだろうか。人間はなんでも出来るのだろうか。詩編107:39-43は不毛、災厄、嘆きによって屈み込む人々に主は慈しみを与えられ、主を求めないものには裁きが下ると歌う。現在の私たちは自分だけの力で苦境を脱しようとするが、その成功を主に祈ることはもっと必要だ。

-詩編107:39-43「不毛、災厄、嘆きによって、彼らは減って行き、屈み込んだ。主は貴族らの上に辱めを浴びせ、道もない混沌に迷い込ませられたが、乏しい人はその貧苦から高く上げ、羊の群れのような大家族とされた。正しい人はこれを見て喜び祝い、不正を行う者は口を閉ざす・・・人は皆、これらのことを心に納め、主の慈しみに目を注ぐがよい」。

 

3.詩編107編の黙想「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」

 

・私たちは苦難の時に主の名を呼び、主は応えて下さる。詩篇107編の詩人はイスラエルの歴史を通じてそれを痛感する。だから「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」という告白が繰り返される(107:6,13,19,28)。

・現代でも状況は同じだ。人は苦難の時に神の名を呼び、神は答えて下さる。賛美歌「いつくしみ深い」を書いた詩人もそのことを歌う。讃美歌431番「いつくしみ深き」を英文・日本文対訳で読むとそのことが良くわかる。詩人は繰り返し「Take it to the Lord in prayer(「それを主の前に持ち出せ」)と語る。

-What a Friend we have in Jesus, All our sins and griefs to bear! What a previlege to carry Everything to God in Prayer! O what peace we often forfeit, O what needless pain we bear, All because we do not carry, Everything to God in Prayer

何と素晴らしい友でしょうか。主イエスが私たちのすべての罪と悩みを負ってくださるとは。何という特権でしょうか。すべてを神に祈ることができるのは。しかし、何としばしば私たちは平安を受けそこない、無駄に心を痛めるのでしょうか。すべてのことを神に告げる祈りをしないからです。

-Have we trials and temptations? Is there trouble anywhere? We should never be discouraged, Take it to the Lord in prayer. Can we find a friend so faithful Who will all our sorrows share? Jesus knows our every weakness, Take it to the Lord in prayer.

試練や誘惑に出会っていますか、困難がありますか、失望してはいけません。主に祈りなさい。こんなに真実そのものの友があるでしょうか。私たちのすべての悲しみを感じてくださるという方が、主イエスは私たちの弱さを全部ご存知です。主に祈りなさい。

-Are we weak and heavyladen, Cumbered with a load of care? Precious Savior, still our refuge, Take it to the Lord in prayer. Do thy friends despise, forsake thee? Take it to the Lord in prayer; In his arms He'll take and shield thee, Thou wilt find a solace there.

重荷に疲れ、心労に弱っていますか、尊い主は、私たちの隠れ場です。主に祈りなさい。友に軽蔑され、捨てられていますか、主に祈りなさい。主はその御腕にあなたを抱き、あなたを守ってくださいます。そこにあなたは慰めを見出すでしょう。

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