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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年4月29日祈祷会(詩編48編、シオン賛歌)

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  • シオン賛歌

 

・詩編48編は「シオンは神が住みたもう都」と賛美する歌である。エルサレム神殿に集う会衆が賛美したシオン賛歌が詩の原型であろうと思われる。

-詩編48:2-4「大いなる主、限りなく賛美される主。私たちの神の都にある聖なる山は、高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される」。

・シオンは神の都であるゆえに、エルサレムに攻め来った諸王たちもひるみ、恐怖に陥って逃げ去ったと詩人は歌う。ヒゼキヤ王の時代に起こったアッシリア軍の敗退がここに想起されている。

-詩編48:5-8「見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った。そのとき彼らを捕えたおののきは、産みの苦しみをする女のもだえ、東風に砕かれるタルシシュの船」。

・紀元前701年、エルサレムを包囲したアッシリア軍は突然包囲を解き、国に帰った。疫病が発生したとも、国内で政変があった為とも言われている。この事件を境に「エルサレムは不滅である」とのシオン信仰が起こった。

-イザヤ37:36-37「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた」。

・9節以降もシオン賛歌は続く。シオンは神が住まわれる神殿がある故に永久に安泰であると。

-詩編48:9-12「聞いていたことをそのまま、私たちは見た、万軍の主の都、私たちの神の都で。神はこの都をとこしえに固く立てられる。神よ、神殿にあって私たちは、あなたの慈しみを思い描く。神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。右の御手には正しさが溢れている。あなたの裁きのゆえに、シオンの山は喜び祝い、ユダの乙女らは喜び躍る」。

・最後に「シオンは永遠に神の都である」と歌われる。巡礼者たちの讃美の歌がここに聞こえる。

-詩編48:13-15「シオンの周りをひと巡りして見よ。塔の数をかぞえ、城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ、この神は世々限りなく私たちの神、死を越えて、私たちを導いて行かれる、と」。

・詩篇46~48編はいずれもシオンに対する神の護りを歌うが、思想は微妙に変化している。46編5節においては「いと高き神のいます聖所に。神はその中にいまし、都は揺らぐことがない」と神の臨在こそエルサレムの防備のかなめと歌われるが、48編13節においては「塔の数をかぞえ、城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ」とエルサレムをめぐる城壁が護りのかなめとされている。信仰による安心が、次第に物理的城壁による安心に変わりつつある。48編は明らかにエルサレムの崩壊を目撃した詩人の編集が入っている。

 

2.シオンは本当に永遠の都か

 

・どの民族も、「自分たちの都は永遠である」と歌う。しかし地上に永遠なるものはない。バビロンは滅び、ニネベが滅んだように、エルサレムも前587年にバビロン軍により焼かれ、滅んでいった。

-列王記下25:8-9「第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った」。

・他の民族は神殿の消失と共に、自民族の神に対する信仰も消失した。しかし、イスラエルにおいては、神殿が炎上しても、全地を支配する主への信仰は消滅しなかった。イスラエル人はエレサレム陥落を自分たちの罪に対する主の怒りと受け止めた。

-列王記下24:20「 エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した」。

・バビロンに捕囚された民は、異国の地でシオンへの帰京の思いを歌った。

-詩編137:1-4「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、私たちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。私たちを捕囚にした民が、歌をうたえと言うから、私たちを嘲る民が、楽しもうとして「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で。エルサレムよ、もしも、私があなたを忘れるなら、私の右手はなえるがよい」。

・捕囚解放後、エルサレムに帰還した人々が最初に取り組んだのは、神殿の再建だった。

-ネヘミヤ12:43「その日(神殿再建の日)、人々は大いなる生贄を屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた」。

・イエス時代の神殿はヘロデ王が増築した第三神殿であった。弟子たちはその威容を賛美したが、イエスは神殿崩壊を預言される。イエスが殺された要因の一つはこの神殿冒涜罪であった。

-マルコ13:2「イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」。

・イエスの弟子ステパノもまた神殿の永遠性を否定したゆえに殺されていく。

-使徒7:46-50「ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです『主は言われる。天は私の王座、地は私の足台。お前たちは、私にどんな家を建ててくれると言うのか。私の憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、私の手が造ったものではないか』」。

・パウロは、「イエスが神の生贄として死んでくださった故に、私たちはもう神殿を必要としない。むしろ、私たちの体こそ、主の霊が宿る神殿である」ことを見出していく。

-第一コリント6:19「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。

 

3.新約における神の都

 

・へブル書では神の都は、現実のエルサレムではなく、天のエルサレムと表現される。

-ヘブル11:10-16「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです・・・この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです・・・神は、彼らのために都を準備されていたからです」。

・ヨハネ黙示録でも地上の都は否定され、終末に新しいエルサレムが天から下ってくると待望されている。

-ヨハネ黙示録21:1-4「私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」。

・この「新しいエルサレム」の理想はその後の歴史にも影響を与えた。1620年9月、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼父祖) と呼ばれるピューリタンたちは、イギリスのプリマス港を出航、2か月の航海を経て、11月、ニューイングランドにたどり着いた。彼らはアメリカに「丘の上の町」を建設しようとした。丘の上の町というのはキリスト教の聖都エルサレムを指し示す言葉である。 彼らは、自分たちの移住の目的は、大陸に世界の範となる立派な「丘の上の町」、すなわち「新しいエルサレム」を打ち立てることであり、この大目的は共同体の構成員が心をひとつにして、神との間に結ばれた契約を果たすことによってのみ達成されるのだと語った。

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