1.戦勝祈願の詩
・詩篇20篇は王の出陣式に、祭司が捧げた執り成しの祈りが原型と言われる。王は神に立てられ、国の守護のために戦う。祭司は王の出陣式で、イスラエルの神が王を護って下さる様に祈願する。
-詩篇20:2-3「苦難の日に主があなたに答え、ヤコブの神の御名があなたを高く上げ、聖所から助けを遣わし、シオンからあなたを支えてくださるように」。
・祭司は、主を「苦難の時に答えて下さった神」と呼ぶ(詩篇20:2)。周囲を他民族に囲まれたイスラエルは、戦うことなしに国を維持できず、戦いは必然的に民族の興亡をかける戦い、守護神と守護神の戦いとなっていく。それゆえイスラエルの戦いは聖戦=神の戦いと呼ばれる。
-申命記20:3-4「あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである」。
・出陣にあたり、王は捧げ物を捧げる。その捧げ物を神が受け入れ、計画が成就するように祭司は執り成す。
-詩篇20:4-5「あなたの供え物をことごとく心に留め、あなたのささげるいけにえを快く受け入れ、あなたの心の願いをかなえ、あなたの計らいを実現させてくださるように」。
・王は民のために戦う。王の勝利は民の勝利でもある。民を代表して祭司は王のために勝利を祈る。
-詩篇20:6「我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ、我らの神の御名によって、旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを、すべて実現させてくださるように」。
・7節からは、王(油注がれた者)への執り成しの祈りが神に聞かれたことの感謝が表明される。
-詩篇20:7「今、私は知った、主は油注がれた方に勝利を授け、聖なる天から彼に答えて、右の御手による救いの力を示されることを」。
・戦いは神の戦いである。異国の民は馬を誇り、戦車を誇るが、イスラエルは主の御名を唱える。
-詩篇20:8-9「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える。彼らは力を失って倒れるが、我らは力に満ちて立ち上がる」。
・最後に会衆は声を合わせて、王の勝利を祈る。
-詩篇20:10「主よ、王に勝利を与え、呼び求める我らに答えてください」。
2.祭司と預言者の対立と一致
・主によって立てられる王は、民の指導者として対外的には敵から民を護り、対内的には社会的弱者保護の責務を負う。王の救いは民の救いであり、王家の繁栄が民に繁栄をもたらす。詩篇20編が示すように、祭司の役割は王のために祈ることを通して民の繁栄を願うものであった。しかし現実には王政は軍隊と官僚からなる権力機構を生み出し、社会は支配と被支配に分断され、支配者は民を貪る。そのため預言者が立ってエルサレムの支配者を糾弾し、対峙した。祭司と預言者は立つ場が異なる。
-エゼキエル34:2-4「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した」。
・祭司と預言者は立つ場が異なるが、「救いは神から来る、軍事力(戦車や馬)は救いをもたらさない」点では一致していた。今日の世界では、軍事力とはどれだけの陸海空軍を持ち、どのような武器を持つかが議論されるが、数千年前の人々が軍事的勝利は軍事力の多寡を超えるとしていたことは銘記されるべきだ。圧倒的な軍事力を誇るアメリカがベトナムから敗退し、イラクやアフガンでも勝利できなかったことは、戦いは軍事力だけでないことを示す。神の戦いが勝利するためには正義が必要である。
-詩篇20:8「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが、我らは、我らの神、主の御名を唱える」。
-イザヤ31:1「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない」。
・実際のユダ王国はバビロニアの「戦車と馬」の前に壊滅したが、このような神信仰は「戦車、馬」によっても踏みにじられることはなく、やがてゼカリヤの「馬ではなくロバに乗った平和の王」というメシア像を生み出し(ゼカリヤ9:9-10)していく。イエスは平和の王として、「馬ではなくロバに乗って」エルサレムに入城された。
-マタイ21:2-5「向こうの村へ行きなさい。子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、私のところに引いて来なさい。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」。
・北イスラエル王国はアッシリアの軍事力の前に国を滅ぼされ、南ユダ王国はバビロンにより滅ぼされた。しかし今日、アッシリア人やバビロン人は遺跡にその存在を残すのみであり、ユダヤ人は今なお民族として存続している。何故様々な民族が歴史の中で消滅したのに、ユダヤ人は生き残ったのだろうか。そこに、「神の摂理」がある。それを信じる者は、国の滅亡を含めて、「万事が益になる」ことを信じる。
-ローマ8:28「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」。
3.参考資料「広島原爆投下を祝福したカトリック司祭の懺悔」George Zabelka 2016年8月6日
・戦争で民間人を攻撃することを教会は常に禁止してきました。もし一人の兵士が私のところに来て、 子供の頭を弾丸で打ち抜いてもいいか尋ねたら、私は絶対にだめだと言ったでしょう。 それは非常に罪深いことだと。1945年、テニアン島には、毎分三機の飛行機が絶え間なく飛び立てるほどの飛行場がありました。たくさんの戦闘機が、何百人何千人の民間人と子ども達を虐殺するために、ここから日本へ飛び立って行ったのです。しかし私はそれを黙認しました。
・ミシガン州のフリントで公民権運動が起こった時に、私はキング牧師と働きました。 彼の非暴力を訴える言葉、憎しみの代わりに愛を選び、偽りの代わりに真理を選び、暴力の代わりに非暴力を選ぶ言葉に、深い感銘を受けました。モンゴメリーで投獄された時のキング牧師の言葉に衝撃を受けました。「自由を得るために、モンゴメリーの街中に血が流れるかもしれない。だが、それは黒人の血であるべきで、白人のものであってはならない。私たちの兄弟である白人たちの髪の毛一本にも危害を加えてはならない」。私はもがき、抗弁しました。でも、山上の垂訓には非常に明確に書いてあります「あなた方の敵を愛し、悪に対して善をもって報いなさい。」避けては通れない、愚かにも思えるキリストの言葉を受け入れるか、それとも完全に否定するか。私は信仰の危機に直面しました。
・1700年の間教会は、戦争に関わることを名誉ある職業、名誉あるクリスチャンの職業だとして人々を誘導してきたのです。これは真実ではありません。現在も過去も未来も、常に戦争は非常に悪い報せです。私もそこにいました。私は本当の戦争を見ました。戦争はキリストのものではありません。大量虐殺の倫理は、イエスの教えの中にはありません。クリスチャン生活のすべてに反映すべきイエスキリストと、正戦論は無関係です。正戦論は、キリストやキリストの教えに基づいていません。どのレベルの虐殺がクリスチャンにとって許容範囲内なのかなど、キリストもキリストの教えも提示していないのです。
・イエスの復活後300年間、教会はキリストとその教えを非暴力的なものとみなしていました。政府からの激しい弾圧を受けた際、教会はこの倫理を教えていたことを思い出してください。教会は恐ろしい拷問と死にさらされ続けていました。もし、戦争という形であれ、革命という形であれ、報復や防衛的な虐殺が正当化されうることがあるとしたら、それはこの時だったでしょう。ローマ国家および軍の経済的•政治的なエリートたちは、国民をクリスチャンの敵へと煽動し、キリスト教社会を根絶するため残忍な公共政策に着手しました。それでも教会は、キリストがペテロに剣を納めるようおっしゃったようにクリスチャンは誰も剣を取るべきではないと、教会員が凶悪犯罪者の手にかかる中でも臆することなく主張したのです。
・兄弟姉妹達よ、キリスト教徒達が犯したこの恐ろしい虐殺を覚える記念日に、私はまず言わなければなりません。空軍の従軍司祭として私は、その非暴力と愛の手に機関銃を握らせたイエス像を描き、それを真実として世界に広めたのです。私は「神を賛美せよ」と歌いながら、核爆弾を手渡したようなものです。第509混成部隊のカトリック従軍司祭として、私はエノラゲイとボックスカーの乗組員に最終的な判断基準としてこの間違ったキリスト像を伝えたのです。今日私が言えるただ一つのことは、私は間違っていたということです。昨年、私は東京から広島まで回り、被爆者に許しを請いました。平和記念碑で花を手向けた後、私は顔を地に伏せ許しを請うて祈りました 自分のため、自分の国のため、自分の教会のために。長崎も、広島もです。私も謝罪し、そして彼らもパールハーバーや日本軍の恐ろしい行為について謝罪しました。私たちは、抱き合い、共に泣きました。涙が溢れ出ました。これが和解の最初の一歩でした 罪と許しを認めることです。他の方々もこの平安の道を見つけることができるようお祈り下さい。
Sixty-nine years ago, as a Catholic Air Force chaplain, Father George Zabelka blessed the men who dropped the atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki. Over the next twenty years, he gradually came to believe that he had been terribly wrong, that he had denied the very foundations of his faith by lending moral and religious support to the bombing. Zabelka, who died in 1992, gave this speech on the 40th anniversary of the bombings. He left this message for the world...