江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年9月24日祈祷会(詩篇19編、創造と贖い)

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1.創造の讃美

 

・詩篇19編は前半で創造主を讃美し、後半でその創造主こそ贖い主であることを告白する。詩人は歌う「夜空に広がる満天の星を見た時、私はあなたを讃美します。天体の規則正しい運行を見る時、あなたの摂理を思います」と。詩人は眼前に広がる天地万象を前にして、そこに創造の神の働きを感じ取っている。そして自分たち人間が、神の意志によって被造界に生かしめられていることを認識する。

-詩篇19:1-3「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る」。

・神は創造された自然を通して自己を啓示される。ガリレオやニュートンが自然科学を探求したのは、「数字で書かれた聖書」であるこの世の自然現象を解き明かすことで、神の御業を人々に知らせることに大きな意義を感じていたからだと言われる。彼らは熱心なキリスト教徒であった。

-詩篇19:4-5「話すことも語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう」。

・私たちは自然を通して神の御業を知る。しかし現代では、人工的な明るさにより、満天の星の輝きを知ることが少なくなった。東北大震災時に長期間の停電が起こり、人々は星空のすばらしさを改めて知った。仙台市天文台は、毎年3月11日に「あの日の星空」を再現する催しを行っているという。

-仙台天文台・大江宏典氏の言葉「星空が問いかけるものは、なんだろう。ナレーションにこう書いた。『地震も自然、星空も自然。でも人は、自分自身がそれらとは別の何かと錯覚してしまいます』。そして大震災の夜、ようやく気付く。『私たちは宇宙と呼ぶ全体の一部に過ぎないのです』」。

・パウロは「神の力と新生は被造物において知られる」と語った。

-ローマ1:18-20「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません」。

・昼も夜も神が創造された。神は昼には太陽を昇らせ、夜には太陽を休ませる。太陽も月もまた被造物である。自然の摂理は人間の想像をはるかに超える。

-詩篇19:5「神は太陽の幕屋を設けられた。太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように、天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない」。

・讃美歌作者ジョゼフ・アディスンはこの詩篇に触発されて「果てなき大空」と言う讃美を書いた。

-新生讃美歌123番(教団讃美歌74番)「涯(はて)しもしられぬ あまつ海原をわたるや朝日の うららに匂いて、み恵みあまねき 父なるみかみをあらわす光ぞ 日々に新たなる。暮れゆくみ空に 月星ほのめき、盈(み)ちかくる影に 変るきらめきに、ときわに変らぬ みかみの真理(まこと)をあらわす光ぞ 夜々に明(さや)かなる。昼は物言わず よるは語らねど、声なきうたごえ 心にぞひびく。「われらの生命(いのち)に まします御神の律法(おきて)はかしこく、稜威(みいつ)こよなし」と」。

 

2.律法を与えられた神への讃美

 

・8節から詩人は、人間に理解可能な律法を通して自己を啓示される神への讃美に向かう。神の言葉(律法)は人に知恵と喜びを与える「命の言葉」であると。

-詩篇19:8-11「主の律法は完全で魂を生き返らせ、主の定めは真実で無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで心に喜びを与え、主の戒めは清らかで目に光を与える。主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い」。

・詩篇19編「主の律法は完全で魂を生き返らせ、主の定めは真実で無知な人に知恵を与える」は、詩篇119編の言葉を思い起こさせる「御言葉こそ、足元を照らす灯火と」。

-詩篇119:97-105「私はあなたの律法を、どれほど愛していることでしょう。私は絶え間なくそれに心を砕いています。あなたの戒めは私を敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえに私のものです・・・あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯」。

・しかしその御言葉も文字化されると、喜びではなく人を縛る律法、負いきれないくびき、となってしまう。イエスが「神が結び合わせてくださったものを人は離してはならない」と言われた時、それは「男女が神の前に平等で対等なものとして造られた」という祝福の言葉であったのに、後代の教会はそれを「離婚してはならない」という禁止規定にしてしまった。

-マルコ10:6-9「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

・パウロはイエスの言葉をもう一度聞き直すように求めた。人は、文字に書かれた律法を読むことではなく、神のみ旨を体現することによって、キリストの手紙になりうると。

-第二コリント3:3-6「あなたがたは、キリストが私たちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です・・・神は私たちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします」。

・詩人は自分の弱さを知り、罪を犯さざるを得ない存在であることを告白する。しかし神は私たちの弱さを知る故に、それを赦し、「私の岩、私の贖い主」と呼ばれることを許して下さる。贖い主=ゴーエール、買い戻して下さる方との意味である。

-詩篇19:13-15「知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうか私を清めてください。あなたの僕を驕りから引き離し、支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ、私は完全になるでしょう。どうか、私の口の言葉が御旨に叶い、心の思いが御前に置かれますように。主よ、私の岩、私の贖い主よ」。

・出エジプトは、神が民をエジプトの奴隷の身から贖いだして下さった業であり、バビロン捕囚からの解放も神の贖いの行為である。捕囚期の預言者第二イザヤは、主を「贖い主」と歌う。

-イザヤ43:1「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ」。

・詩篇19編の最後の3節は、主の祈りと同じだ。かつては民族の贖い主として仰がれていた方が、今や個人の信仰の対象として語られる。イエスは、「罪を犯さざるを得ない弱い私たちをお守り下さい」と祈るように教えられた。

-主の祈り・後半「われらの日用の糧を今日も与えたまえ。われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」。

・詩篇19編は創造賛歌と律法賛歌が統一されている。それを現代人に伝えたのが、カントの言葉だ。

-エマニュエル・カント「わが上なる星の輝く天空と、わが内なる道徳律」。

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