江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2018年9月6日祈祷会(サムエル記上4章、栄光がイスラエルを去る)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.主の契約の箱が奪われる

・士師の時代、イスラエルはペリシテの軍事力に圧迫されていた。彼らは戦車と鉄製武器でイスラエルを圧倒し、地中海沿岸から内陸に攻め入り、イスラエルと攻防を繰り返した。
−サムエル記上4:1-2「イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、イスラエル軍に向かって戦列を整えた。戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした」。
・敗北は主の裁きによるものであり、それは、あらかじめサムエルによって全イスラエルに語られていた。しかし、彼らは、そのことばを心に留めていなかった。そしてむしろ、主の契約の箱を自分たちのところに持ってきさえすれば、物事は解決する、と迷信的な行動をとった。ここに宗教と魔術の混淆がある。主の契約の箱とは、モーセに与えられた十戒の板を収めた箱、主の臨在の象徴だった。
−サムエル記上4:3-5「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう・・・エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に従って来た。主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた」。
・ペリシテ軍は当初は恐れたが、戦ってみるとイスラエルに勝つことが出来たし、箱を奪うことも出来た。信仰が無ければ主の契約の箱も単なる物質に過ぎないことが明らかになった。主の晩餐式のパンとぶどう酒も同じく、信仰なしに受取っても単なる物質に過ぎない。
−サムエル記上4:10-11「ペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ」。
・神の箱や契約の板に力があるのではなく、神そのものに力があることを人は忘れる。人が、神は神であることを忘れ、その力を自分たちのために用いようとする時、神の箱も偶像になってしまう。偶像には何の力もない。
−イザヤ44:15-17「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか・・・残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う「お救いください、あなたは私の神と」。

2.主の栄光が去る

・大祭司エリは、イスラエルが戦いに敗れ、主の箱は奪われ、息子たちも殺されたとの悲報を聞くと、いすから転げ落ちて死んだ。
−サムエル記上4:12-18「ベニヤミン族の男が一人、戦場を出て走り、その日のうちにシロに着いた・・・知らせをもたらした者は答えた『イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ去り、兵士の多くが戦死しました。あなたの二人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました』。その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ。年老い、太っていたからである」。
・エリの嫁、ピネハスの妻は、臨月だったが、神の箱が奪われ、夫も死に、舅も死んだことを知ると、落胆した。彼女は生まれてきた子どもにイ・カボトと名づけた。“主の栄光は去った”という意味である。
−サムエル記上4:19-22「エリの嫁、ピネハスの妻は出産間近の身であったが、神の箱が奪われ、舅も夫も死んだとの知らせを聞くと、陣痛に襲われてかがみ込み、子を産んだ・・・彼女は子供をイ・カボド(栄光は失われた)と名付けた」。
・栄光 “カボト”は、主の臨在を示す。出エジプト記においては、臨在の雲が“カボト”と呼ばれる。
−出エジプト記13:21-22「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」。
・バビロン軍によってエルサレムが略奪された時、エゼキエルは幻の中で「主の栄光がエルサレム神殿から去った」ことを見た。主が共におられれば荒野も神の国であり、主が去られたら約束の地も地獄になる。
−エゼキエル10:4-18「主の栄光はケルビムの上から立ち上がり、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、庭は主の栄光の輝きで満たされた・・・主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、私の目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった」。

3.契約の箱とは何か

・契約の箱は十戒が刻まれた石板を収めた箱で、モーセの時代にはこの中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納された。荒野をさまよっていた時代には祭司たちが担いで移動させていたが、ヨシュアの時代以降は、シロの幕屋の至聖所に安置される。サムエルを養育した大祭司エリの時代には、ペリシテ人によって奪われるが、ペリシテ人を災厄が襲ったため、彼らはこの箱をイスラエル人に送り返した。ソロモン王の時代以降はエルサレム神殿の至聖所に安置される。ソロモン王死後、統一イスラエル王国は分裂した。アッシリア帝国が勃興すると、紀元前722年に北のイスラエル王国は滅ぼされてしまった。その後、ユダ王国はアッシリアに服属する形で存続していたが、紀元前609年にはエジプトの支配下に入り、 紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへと連行されること(バビロン捕囚)となった。契約の箱はバビロン捕囚時に失われ、「失われた聖櫃(The Lost Ark)」と呼ばれた(ウィキペディア)。
*映画「インディ・ジョーンズ シリーズ」の第1作は、「Raiders of the Lost Ark」で、戦争に勝利するために繰り広げられたドイツ軍との箱の争奪戦を描く。
・イスラエル人がエジプトから約束の地に来るまで契約の箱は民と共に移動し、敵が攻めて来た時は特別な役割を果たした。箱は当時のイスラエル人に対し、神の実在と守りを示す目に見える証しであった。サムエルの時代になると、箱はイスラエルの礼拝の対象として主に取って代わられる危険性を帯びてくる。箱がペリシテ人に奪われたことは神の計画でもあった。偶像礼拝からの解放である。記念物さえ、偶像崇拝の対象になるのである。人は「見える神」を欲する。出エジプト記の「金の子牛像」も、仏像も、カトリックのマリア像もそうだ。
−出エジプト記32:1-4「モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、『さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言うと、アロンは彼らに言った。『あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、私のところに持って来なさい。』民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ』と言った。」
・やがて、イスラエルの民は国を滅ぼされ、バビロンの地で捕囚になった。彼らは自分たちの神がバビロンの神に破れたから、自分たちは負けたのだと思った。しかし、倒れても自分で起き上がることの出来ないバビロンの偶像神を見て間違いに気づいた。自分たちがエルサレム神殿と主の箱という偶像崇拝をしていたからこそ自分たちは打たれた事に気づいた。人は苦難を経験しないと真実に目が開かない。
−イザヤ46:1-4「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる・・・私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。

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