江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年11月30日祈祷会(ヨシュア記6章、エリコ陥落)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.エリコ攻略

・ヨルダン川を渡ったイスラエルは、エリコ攻略に向かう。エリコは攻撃を予想して城門を閉じていた。高い城壁をどのように攻略すべきか、強行突破をすれば多くの犠牲が出る、ヨシュアは迷う。
−ヨシュア記6:1-5「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった」。
・その時、イスラエルに与えられた命令は、「エリコ城壁の周りを七人の祭司を先頭にして七度回れ、そうすれば城壁は落ちる」という、破天荒な命令だった。
−ヨシュア記6:3-5「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい」
・城壁の周りを回っても城壁が崩れるとは思えない。それでもヨシュアは命令に従った。このような行為が7日間も続いた。エリコの守備隊はイスラエルを嘲笑したに違いない。しかし、ヨシュアは続けるように命じ続けた。
−ヨシュア記6:12-14「翌朝、ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱を担ぎ、七人の祭司はそれぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の箱の前を進んだ。武装兵は、更にその前衛として進み、また後衛として主の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。彼らは二日目も、町を一度回って宿営に戻った。同じことを、彼らは六日間繰り返した」。
・ヨシュアは7日間、民に緘口令を強いた。もし、民に自由に語らせたらなら、不満の声が出て、作戦は失敗したであろう。「こんな事をして何になる。馬鹿らしい」、そのようなつぶやきが出かねない作戦だった。
−ヨシュア記6:10-11「ヨシュアは、その他の民に対しては、『私が鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ』と命じた」。
・七日目にヨシュアは町を七度回るように命じ、その後で、民に鬨の声を上げさせた。その時、城壁は崩れた。
−ヨシュア記6:20「角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した」。
・ヨシュアは味方にほとんど犠牲を出さずにエリコを占領した。彼の戦いは、信仰の戦いだった。
−ヨシュア記6:27「主がヨシュアと共におられたので、彼の名声はこの地方一帯に広まった」。

2.意味がわからなくとも、神の命に従う

・何が起きたのか。考えられることは七日の行軍中に、ヨシュアと部下は城壁の構造を観察し、弱い部分の漆喰やれんがをはずす等の下工作を密かに行い、7日目にその部分を集中攻撃したのかもしれない。神の考えは人の想像を超える。私たちは命じられたらまず従う。従う事を通して、やるべき事が見えてくる。
−イザヤ55:8-11「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なる・・・私の口から出る私の言葉も、空しくは私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
・ノアも同じだった。彼は人々の嘲笑を受けながら、晴天の日に、洪水に備えた箱舟を作り続けた。
−マタイ24:37-39「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。

3.ヨシュア記6章の意味を考える

・多くの注解者は、この物語は歴史的な出来事というよりも、宗教的な出来事を記述したものと考える。その根拠の一つは、「七」という数字が繰り返し用いられていることである。町の周囲を七日回ること、七日目には七度回る、七人の祭司、七つの角笛等。七は聖なる数字であり、この戦いは実際の戦闘というよりも宗教的戦いであることを示唆している。
・次に6:17の「聖絶」(ヘーレム)の命令である。「ヘーレム=燃え尽す捧げもの」としてエリコを捧げよと命じられている。これは実際に起こった出来事というよりも、後代の人々が起こったと信じたことを語っているのではないかと注解者(A.G.オールド)は語る。
−ヨシュア記6:17-21「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ・・・彼ら(イスラエル)は、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」。
・考古学的調査によれば、前1200年頃、エリコは既に海の民(ペリシテ人)により滅ぼされ、城壁もなかったと推察されている。6:26の記述はそれを推察させる。
−ヨシュア記6:26「ヨシュアは、この時、誓って言った。『この町エリコを再建しようとする者は、主の呪いを受ける。基礎を据えたときに長子を失い、城門を建てたときに末子を失う』」。
・歴史学者は推察する「イスラエル諸部族の土地取得は、長い期間にわたり、さまざまな局面や段階を経て、しかも種々異なる仕方で進行した過程であった。創世記では、ヤコブの子らのうちレアの息子たちが年長で、ラケルの息子たちが年下とされる。このヤコブの12人の息子たちは、イスラエル12部族を表しているが、レアの息子とされている6部族が、歴史的にも早くパレスチナに定着し、ラケルの息子とされているヨセフ族とベニヤミン族は後にパレスチナに侵入したのではないか。土地取得の第二の段階で、シメオン族とレビ族が何かの理由で中部パレスチナから移動した後に、ベニヤミン族とエフライム族、マナセ族が、中部パレスチナ地方に侵入したことの伝承がヨシュア記であると思われる」。
・「ヨシュア記では、最初にエリコの町が占領されるが、このエリコはベニヤミンの領地にある。しかし、考古学的な調査から、エリコはベニヤミン族が侵入した時には、既に廃墟になっていた。しかし聖書の伝承者たちは、これは神が大いなる奇跡を行ったのだと理解し、ヨシュア記6章にあるような物語として伝えたものと思われる。そして、後の伝承が土地取得を一二部族連合全体による統一的行動として表現した時、ベニヤミン族の侵入経路が全体の経路として用いられたのであろう」。
・しかし信仰的には別の面がありうる。新約の記者は述べる。
−ヘブル11:30-31「信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました」。
・エリコの戦いはゴスペル曲(Joshua fit the battle of Jericho)としても有名である。その歌は多くの拘束された奴隷に解放の希望を与えて来た。ヨシュア記6章の記述をどのように理解するかは読み手に委ねられる。「ノアの洪水」も伝承であるが、その中に多くの励ましのメッセージが含まれている。同じようにヨシュア記6章も告げる「神の考えは人の想像を超える。私たちは命じられたらまず従う。従う事を通して、やるべき事が見えてくる」という読み方が正しいのかもしれない。

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