江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2016年6月30日祈祷会(創世記47章、エジプトのヤコブ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. ヤコブのエジプト王との会見

・ヨセフは兄弟たちをエジプト王に会わせ、ヤコブ一族はゴシェン居住の許しを得る。
-創世記47:1-6「ヨセフはファラオのところへ行き、『私の父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地におります』と報告した・・・ファラオはヨセフに向かって言った。『・・・エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう』」。
・その後ヨセフは父ヤコブを王の前に連れて来た。ヤコブはエジプト王を祝福し、自分の生涯について述懐する。
―創世記47:7-10「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。ファラオが、『あなたは何歳におなりですか』とヤコブに語りかけると、ヤコブはファラオに答えた。『私の旅路の年月は百三十年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。』ヤコブは、別れの挨拶をして、ファラオの前から退出した。」
・ヤコブは自分の生涯を旅人(寄留者)として表現する。信仰者はこの世に定住の地を持たない寄留者という理解は旧約・新約を問わず、共通している。
-申命記26:5「あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。『私の先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました』」。
・寄留者である故に、寄留している人を配慮せよとの命令が出てくる。今日でいえば、難民である。
-申命記26:11「あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」。
・イスラエル民族はエジプトに寄留した難民であった。ヤコブは無一物であるが、自分に与えられた神の約束を信じている。それ故に寄留者ヤコブが定住者エジプト王を祝福することが可能になる。こうしてイスラエル民族はエジプトに定住した。
-創世記47:11-12「ヨセフはファラオが命じたように、父と兄弟たちの住まいを定め、エジプトの国に所有地を与えた。そこは、ラメセス地方の最も良い土地であった。ヨセフはまた、父と兄弟たちと父の家族の者すべてを養い、扶養すべき者の数に従って食糧を与えた」。

2.ヤコブの遺言

・ヤコブはエジプトで17年間生き、147歳で死んだと創世記は記す。伝承に基づく記述であり、おそらくエジプトに到着して間もない80歳代での死であろう。
-創世記47:27-28「イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増した。ヤコブは、エジプトの国で十七年生きた。ヤコブの生涯は百四十七年であった」。
・死を前にヤコブはヨセフを呼び、自分の遺体を約束の地に葬るようにヨセフに頼む。彼はエジプトにいるがエジプトに属さない。それ故、自分の属する地での葬りを期待する。
―創世記47:29-31「イスラエルは死ぬ日が近づいた時、息子ヨセフを呼び寄せて言った。『もし、お前が私の願いを聞いてくれるなら、お前の手を私の腿の間に入れ、私のために慈しみとまことをもって実行すると、誓ってほしい。どうか、私をこのエジプトには葬らないでくれ。私が先祖たちと共に眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。』ヨセフが、『必ず、おっしゃる通りにいたします』と答えると、『では、誓ってくれ』と言ったので、ヨセフは誓った。イスラエルは、寝台の枕もとで感謝を表した」。

3.ヨセフの農地政策

・飢饉は激しくなり、ヨセフの蓄えた食糧が世界の民を養う。最初ヨセフは銀と引き換えに穀物を売った。
―創世記47:13-14「飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めた。」
・次に家畜と引き換えに穀物を人々に売った。
―創世記47:15-17「エジプトの国にもカナン地方にも、銀が尽き果てると、エジプト人は皆、ヨセフのところにやって来て、『食べる物をください。あなたさまは、私どもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました』と言った。ヨセフは答えた。『家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう。』人々が家畜をヨセフのところに連れて来ると、ヨセフは、馬や、羊や牛の群れや、ろばと引き換えに食糧を与えた。ヨセフはこうして、その年、すべての家畜と引き換えに人々に食糧を分け与えた。」
・銀も家畜も売りつくした人々に、ヨセフは土地を担保に穀物を与えた。
-創世記47:18-21「その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。『・・・銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、私どもの体と農地だけです・・・食糧と引き換えに、私どもと土地を買い上げてください。私どもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、私どもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。』ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうして、ファラオのものとなった。また民については、エジプト領の端から端まで、ヨセフが彼らを奴隷にした』」。
・ヨセフの政策により、人々は飢饉を生き抜くことができたが、奴隷化され、労働を売る小作人になって行った。
―創世記47:23-25「ヨセフは民に言った。『よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい・・・。』彼らは言った。『あなたさまは私どもの命の恩人です。御主君の御好意によって、私どもはファラオの奴隷にさせていただきます。』」
・このエジプト人の奴隷化(ここでは農奴化)は、将来へブル人に適用される激しい強制労働を暗示している。土地を持たない者は自己の労働力を売るしかない。この奴隷化がやがて出エジプトをもたらす。「労働は商品化してはならない」、人間の尊厳を忘れた労働の商品化からの解放こそが、出エジプトの意義である。
-出エジプト記1:11-14「エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた」。

4.労働を商品化する誤りについて考える

・ILOは1944年のフィラデルフィア宣言で「労働は商品ではない」と宣言した。最近,あらためてこの原則に注目が集まっている。それは,「労働」があたかも「商品」であるかのように,商取引の対象となり,使い捨てられ,買い叩かれ,摩滅させられている現実があるからである。リーマン・ショック後のわが国における雇用状況─大量の「派遣切り」など─はその一端である・・・第一は,パート・アルバイト,派遣社員,契約社員など非正規雇用の拡大の中で,そうした非正規労働者の雇用が不安定化し,使いたい時に使い,切りたい時に切れる「商品」のような様相を呈する事態である・・・非正規労働者が増加する中での格差問題の広がりは,働いても生活するに足る収入を得ることのできないワーキングプアの問題にもつながっている。
・第二は,正規労働者においても,その働き過ぎが問題となっており,正規労働者の多くが労働時間や職場環境の面で過酷な状況におかれ,「肉体」や「人格」が傷つけられている事態である。この正規労働者の過剰労働は,職場における労働者のメンタルクライシスを発生させ,その行き着く先が「過労死・過労自殺」であることはよく知られている。
・第三は,第一の事態とも関連しているが,「労働」が商取引の対象となっているという事態である。近年,偽装請負や違法派遣として問題となっている労働者派遣や人材請負は,労働関係に「労働」という「商品」の取引を含んだ働かせ方である。とくに,請負や委託を偽装した労務供給形態では,業者間で結ばれる商取引の自由(「契約の自由」)ゆえに,「労働」は,その取引市場で買い叩かれる。労働者派遣法では,かかる間接雇用の危険性を考慮して,商取引契約たる労働者派遣契約を一定の範囲で規制しているが,それとて,「派遣切り」の現実が示しているように,「労働」の商取引化に伴う構造的危険を免れるものではない。
・以上のような「労働」が「商品」のような様相を呈する三つの事態は,相互に関連しあいつつ,現在の労働世界に深刻な問題を引き起こしていることは言うまでもない。「労働は商品ではない」とうい原則が注目を集めているのは,以上のような事態が続けば,より多くの非正規労働者が十分な収入を得られないため人間らしい暮らしができなくなる可能性があること,正規労働者の多くもさらに肉体や生命の危険にさらされていく可能性があることへの告発であり警告であろう。
(「労働は商品ではない、ILO 、フィラデルフィア宣言)を巡って」石田眞(早稲田商学、2011.3)から)

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