1.神はノアと息子たちを祝福された
・創世記は1〜10章が原初史で、そのうち6〜9章が洪水物語である。洪水物語は世界各地にあり、氷河期が終わって温暖期に入った時に世界を覆う大洪水が発生し、その太古の記憶が洪水伝説として残されたものと思われる(その伝承を伝えるものが前10世紀ヤハウェ資料である)。イスラエルが捕囚されたバビロンの地には、有名なギルガメシュ叙事詩が残されており、捕囚の民はその叙事詩に題材を得て、ヤハウェ資料を編集していった(前6世紀祭司資料)。創世記9章はこの二つの資料で構成されている。洪水物語は国を滅ぼされ、破局を経験した民族が、どのようにして、救いを見出していったかの信仰告白の文書である。それを如実に示すが創世記9章である。
・ノアは洪水が終わると箱舟から出て、主のために祭壇を築き、犠牲の動物を焼いて捧げた(全焼の献げもの)。主は犠牲の動物の宥めの香りをかぎ、「再び洪水を起こして人を滅ぼすことはしない」とノアに約束される。
−創世記8:21-22「主は宥めの香りをかいで御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。私は、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない」。
・創世記9章はそれを受けてのノアに対する祝福が記されている。そこにある言葉は創世記1章の創造物語と同じ祝福であり、世界は洪水という徹底的な審きを経て、再創造されたと祭司資料は伝える。
―創世記9:1-3「神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた『産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。私はこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える』」。
・今回は肉食をも許されている(創世記1:29の創造物語では草食が前提とされている)。肉食を許されたのは、他の動物を殺して生きる人間の罪を、神は受け入れてくださったとの理解であろう。ただ命である血を食べてはならないと命令される。これを受けてユダヤ人は今でも血を含んだ肉は食しない。
―創世記9:4-6「ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。また、あなたたちの命である血が流された場合、私は賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」。
・この部分は前6世紀編集の祭司資料による。「殺すな、血を流すな」とここで言われている。祭司たちは多くの血が流されたイスラエルの滅亡やその後のバビロン流刑の中で、「人の血を流すことは許されない。何故ならば人は神の形に創造されたからだ」という神の言葉を聞いている。
2.新しい契約
・ノアと子供たちに対して新しい契約が宣言される。「もう滅ぼすことはしない」との神の約束である。
−創世記9:8-11「神はノアと彼の息子たちに言われた『私は、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。私があなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない』」。
・人間は変わらない(8:21「人が心に思うことは、幼い時から悪い」)、しかし神が変わられた。最初の創造は神の休息で終っているが、再創造は神が武器である虹(弓)を置くことで終る。この世が罪の世であることを認めた上で、なお生けるものを滅ぼさないという和解の契約が立てられ、約束の徴として虹(弓)が立てられた。
−創世記9:12-17「更に神は言われた『あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。すなわち、私は雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。私が地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、私は、私とあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」。
・ここにおいて、審きが、恵みに変わる。その転回点が8:1「御心に留められた」である。人間に対する神の想起が災いを終息させる。
―創世記8:1「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」
・現代においてもすべての被造物は罪の縄目の中にある。だから救われるためには、一度滅ぼされ、裁かれなければならない。それゆえにキリストが遣わされたとパウロは理解する(ローマ8:14-21)、ペテロは洪水の中にイエス・キリストによる神の救い(水の洗礼による救い)を見た。
−1ペテロ3:20-21「この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです」。
3.ノアから民族が分かれた
・ノアの三人の息子たちから、人類は再び増えていったと創世記は記す。
−創世記9:18-19「箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである」。
・洪水物語の後日談には、「ノアが葡萄酒を飲みすぎて酩酊し、息子たちに裸を見せ、その中でハムは呪われ、セム、ヤフェテは祝福された」とある。裸は性的意味を持つゆえに、ハムは父親を冒涜するような性的行為をしたことが示唆されているのかもしれない。
−創世記9:20-28「さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った『カナンは呪われよ、奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ』。また言った『セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ、セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ』。ノアは洪水の後三百五十年生きた」。
・出エジプトの後、セム(イスラエル)がカナン(ハムの息子)を征服して約束の地に入ったとされることより、カナンは当初よりイスラエルの僕であったとの主張が込められているとみる学者もいる。いずれにせよ、豊かな地における性的豊穣を唱えるカナン文化に巻き込まれるなとの戒めがここに反映している。
−民数記25:1-9「イスラエルがシティムに滞在していたとき、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげる時に民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ・・・一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスはそれを見ると、共同体の中から立ち上がって、槍を手に取り、そのイスラエル人の後を追って奥の部屋まで行き、この二人、すなわちイスラエル人とその女を共に突き刺した。槍は女の腹に達した。それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は二万四千人であった」。