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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年8月7日祈祷会(エステル記1:1−22、クセルクセス王の酒宴)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.歴史的背景

・「エステル記」は捕囚の民の異国の地での物語である。紀元前722年、北イスラエルはアッシリアに亡ぼされ、前586年には南ユダが新バビロニアにより亡ぼされた。国が滅亡した後、両国の人々は捕囚となりバビロンをはじめ、各地に強制移住させられた。前539年、新興国ぺルシャのクロス大王により新バビロニアが亡ぼされると、ユダヤ人解放令が出され、イスラエル人は故郷へ帰ることを許された。
・しかし、そのときすべての人々が帰国したのではなく、多くのユダヤ人が捕囚の地に残ったのである。なぜなら彼らの身の上には、すでに50年から100年近くの異国の地での歳月が流れ、彼らの生活は捕囚の地に根付いていたのである。そしてペルシャの時代ともなればユダヤ人は彼の地にさらに溶け込み、社会的に成功さえしていたのである。なかでもエズラ、ネヘミヤ、モルデカイはペルシャの官僚として成功していた人物なのである。
・「エステル記」のクセルクセス王は、後に登場する同名の王と区別するためクセルクセス一世と称される。ペルシャ帝国全盛期の王である。彼はそのとき、30万の兵と1000隻の軍艦を動かすほどの実力をもっていたことになるのである。エステル1:3の「その治世の第三年」は前483年に当るから、ギリシャ遠征の直前であり、エステル2:16の「その治世の第七年」は前479年に当たるから、ギリシャ戦争直後となる。「エステル記」は、このような歴史的背景のもとに語り初められるのである。

2.クセルクセス王の酒宴

−エステル1:1−5「クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスはインドからクシュに至るまで百二十七州の支配者であった。そのころ、クセルクセス王は要塞の町スサで王位に就き、その治世の第三年に酒宴を催し、大臣、家臣のことごとく、ペルシャとメディアの軍人、貴族および諸州の高官たちを招いた。こうして王は百八十日の長期にわたって自分の国がどれほど冨み栄え、その威力がどれほど貴く輝かしいものであるかを示した。それが終わると、王は七日間、酒宴を王宮の庭園で催し、要塞の町スサに住む者を皆、身分の上下を問わず招いた。」
・インドは現代のインドではない。インダス川の流れる地域、今のパキスタンである。クシュはエジプトの南にあった国で今はス−ダンの一部である。現代人からみると、酒宴は七日間でも長いのに、百八十日はあまりにも長すぎると考えられるが、宴会は王の冨と威光を国内外に示すためであったから、堂々かつ延々と行わたのであった。

3.王妃ワシュティの退位

−エステル1:10−14「七日目のことである。ぶどう酒で上機嫌になった王は、そば近く仕える宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバクタ、ゼタル、カルカスの七人に命じて、冠を着けた王妃ワシュティを召し出そうとした。その美しさ高官および民に見せようというのである。王妃は美しい人であった。ところが王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。王は大いに機嫌を損ね、怒りに燃え、経験を積んだ賢人たちに事を諮った。王の身辺の事柄はすべて、国の定めや裁きに通じている人々によって審議されることになっていた。」
・王は王妃ワシュティの美しさを宴客に見せることで、宴を最高に盛りあげようとした。しかし、彼女が出席を拒んだため、王は宴客の前でいたく面目を失い怒った。王妃ワシュティが出席を拒む理由が省かれているが、王妃が王に対して何の権利ももたない立場であったことを表している。
−エステル1:14−18「王は、王の側近で、王国の最高の地位にある、ペルシャとメディアの七人の大臣カルシエナ、シエタル、アドマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンを呼び寄せた。『王妃ワシュティは、わたしが宦官によって伝えた命令に従わなかった。この場合、国の定めによれば王妃をどのように扱うべきか。』」
・王妃欠席は国の体面の問題と認識され、王と重臣で対策を協議されることとなった。
−エステル1:16−18「メムカンは王と大臣一同に向かって言った。『王妃ワシュティのなさったことは、ただ王のみならず、国中のすべての高官、すべての民にとって都合の悪いことです。この王妃の事件が知れ渡りますと、女たちは皆、『王妃ワシュティは王に召されても、お出ましにならなかった』と申して、夫を軽蔑の目でみるようになります。今日この日にも、ペルシャとメディアの高官夫人たちは、この王妃の事件を聞いて、王にお仕えするすべての高官に向かってそう申すにちがいありません。何とも侮辱的で腹立たしいことです。』」
・大臣メムカンは王妃の事件をきっかけに、国中の男の権威が失墜すると警告している。
−エステル1:19−20「『もしお心に適いますなら「ワシュティがクセルクセス王の前にでることを禁ずる。王妃の位は他の優れた女性に与える」との命令を王御自身お下しになり、これをペルシャとメディアの国法の中に書き込ませ、確定事項となさってはいかがでしょうか。お出しになった勅令が、この大国の津々浦々に聞こえますと、女たちは皆、身分のいかんにかかわらず夫を敬うようになるでしょう。』」
・メムカンは様々な進言をしているが、要は男性優位をいかに保つかということである。
−エステル1:21−22「王にも大臣たちにもこの発言は適切であると思われ、王はメムカンの言うとおりにした。王は支配下のすべての州に勅書を送ったが、それは州ごとにその州の文字で、また、民族ごとにその民族の言語で書かれていた。すべての男子が自分の家の主人となり、自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった。」
・王妃ワシュティの物語は、ペルシャが国威をかけて妻の夫への服従義務を守らせた物語である。しかし、その反面、たった一人の女の不服従が発端となり、ペルシャの国全体が揺れ動く様子を風刺した物語にもなっている。

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