江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2013年10月2日祈祷会(エステル記8:1-17,ユダヤ人迫害取り消される)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.神の摂理による立場の逆転

・ハマン処刑後、モルデカイはエステルの親族として王に拝謁し、王の命を救った功績により、宰相に取り立てられる。モルデカイが前に受けた栄誉礼は、その場限りの褒賞だったので、宰相任命こそが王が与えた、まことの褒賞であった。さらに、モルデカイは印章つきの指輪を王から、授与され、王の代理としての政治的役割も、担うこととなった。モルデカイを倒そうとしたハマンが返り討ちに遭い、王宮の門番だったモルデカイが異例中の異例の出世で宰相に就任するとは、まさに神の摂理による立場の逆転であった。
エステル8:1-2「クセルクセス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。エステルはモルデカイとの間柄を知らせたので、モルデカイは王の前に出た。王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与え、エステルは彼をハマンの家の管理人とした。」
・王がモルデカイに与えた褒賞の、おおかたはハマンから取り返し、または取りあげたものだった。ハマンから取りあげた地位(宰相)、ハマンの財産(家と金)、ハマンの権限(印章つき指輪)であった。エステルも王が取り上げたハマンの家を拝領している。王がモルデカイに与えたものはペルシャ国での比類なき地位と権力の座だった。目を覆うばかりだったハマンの没落に比べ、モルデカイの昇進は目を見張るばかりであった。
−エステル8:3-6「エステルは再び王の前に申し出て、その足もとにひれ伏し、涙を流し、憐れみを乞い、アガグ人ハマンの悪事、すなわち、ユダヤ人に対して彼がたくらんだことを無効にしていただくことを願った。王が金の笏を差し伸べたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、言った。『もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけていただけますなら、アガグ人ハメダタの子ハマンの考え出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしょうとしてあの文書を作りました。私は自分の民族に降りかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。』」
・エステルには、まだ同朋を救わねばならぬ重責が残っていた。心急ぐエステルは王の許しを待ちきれず、王の前にひれ伏し命懸けで訴えた。幸いにも王は金の笏を差し伸べ願いは入れられ安心したものの、一度発した王命は取り消せないという難問が残っていた
−エステル8:7-8「そこでクセルクセス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。『わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならい。お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない』」

2.ユダヤ人迫害取り消される

・エステルの願いを聞き入れた王は、ハマンがユダヤ人全滅を諮ったゆえに、ハマンを処刑したと、ハマン処刑の理由を自ら明らかにしたうえで、ユダヤ人撲滅の勅令取り消しの実行を、エステルとモルデカイに委ねた。
−エステル8:9-10「そのころ、第三の月のこと、すなわちシワンの月の二十三日に、王の書記官が召集され、インドからクシュに至るまで、百二十七州にいるユダヤ人と総督、地方長官、諸州の高官たちに対してモルデカイが命ずるままに文書が作成された。それは各州ごとにその州の文字で、各民族ごとにその民族の言語で、ユダヤ人にはユダヤ文字とその言語で、クセルクセス王の名によって書き記され、王の指輪で印が押してあった。その文書は王家の飼育所で育てられた御用馬の早馬に乗った急使によって各地に届けられた。」
・8章9-10節の法令発布の文書の形式はすでに3章12-13節で、ハマンがユダヤ人抹殺の法令を発布するとき使われていて、名前、日付、趣意以外はそっくりである。同じ形式の文書を再び用いて語るのは、ハマンの発布した法令が失効したことを強く印象づけるためである。王の勅令を伝達する馬は、前三千年前にはすでに家畜化され、農耕用、牽引用、乗用に飼育され古代から軍用としても重用された。ペルシャ王の飼育所で育てられた早馬は通信用の馬で、早馬は当時では最速の通信手段であった。
−エステル8:11-14「こうして王の命令によって、どの町のユダヤ人にも自分たちの命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を女や子供に至るまで一人残らず滅ぼし、殺し、絶滅させ、その持ち物を奪い取ることが許された。これはクセルクセス王の国中どこにおいても一日だけ、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日と定められた。この文書の写しはどの州でもすべての民族に国の定めとして公示され、ユダヤ人は敵に復讐するためにその日に備えるようになった。御用馬の早馬に乗った急使は王の命令によって直ちに急いで出立し、要塞の町スサでもこの定めが言い渡された。」
・王の命令は、どの町であれ村であれ、ユダヤ人は自分たちの命を守るため、迫害する敵の女、子供に至るまで殺害、その持ち物を奪ってもよいというものだった。その命令にはあいまいさがなく完全な復讐を認めている。しかし、この復讐は女、子供の命まで奪ったうえに、持ち者まで奪うという、倫理上の問題をはらんでいた。それが「エステル記」が非難される原因ともなっていて、たとえ、ユダヤ民族が全滅の危機にさらされていたとしても、これほど大規模なペルシャ市民の殺害を、王が許したであろうかという疑問もおき、それ以外に、旧約時代に存在した同害復讐法が「エステル記」で、実行されていたのかという疑問も残されている。
−エステル8:15-17「モルデカイが紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着け、王の前から退出してくると、スサの都は歓声に包まれた。それはユダヤ人にとって輝かしく、祝うべきこと、喜ばしく、誉れあることであった。王の命令とその定めが届くと、州という州、町という町で、ユダヤ人は喜び祝い、宴会を開いて楽しくその日を過ごした。その地の民族にもユダヤ人になろうとする者が多くでた。ユダヤ人に対する恐れに襲われたからである。」
・8章15-17節は3章14-15節と対照的である。3章ではハマンのユダヤ人抹殺の布告により、スサの都は混乱していた。しかし、8章のスサの町はがらりと様子が変わり、町は宰相となったモルデカイを歓迎している。しかも、歓迎したのはユダヤ人だけではなく、スサの町民は外国人が宰相に任命されたことに、異議を唱えるどころか、紫と白の王服をまとい、黄金の冠を着けて王宮を退出して来たモルデカイを、町をあげて歓呼で迎えている。喜びは首都スサ以外の各州にも伝播し、ペルシャ中におよんだ。モルデカイには、法的には変更できないはずの決定事項を、変更する力のあることが、知れ渡ったからである。他の民族にユダヤ人になりたいという者が出たが、彼らは、ユダヤ人に成ることが、将来の利益につながるという思惑をもったのかも知れないし、ユダヤ人に対する恐れが生じていたのかも知れない。

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