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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年10月18日祈祷会(ヨブ記22章、異端審問の怖さ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. エリパズの反論

・ヨブの友人たちは応報思想に立つ。すなわち「神は正しい者に報い、悪しき者を苦しめられる」と信じる。だから「ヨブが苦しんでいるとしたら罪を犯したからに他ならない」と考える。それなのに、ヨブが災いを自分の罪の故と認めない姿は不信仰そのものに見えた。だから友人たちはヨブの罪の証拠を探し出す暴露戦術に出る。
-ヨブ22:1-5「テマン人エリファズは答えた。人間が神にとって有益でありえようか。賢い人でさえ、有益でありえようか。あなたが正しいからといって全能者が喜び、完全な道を歩むからといって、神の利益になるだろうか。あなたが神を畏れ敬っているのに、神があなたを責め、あなたを裁きの座に引き出されるだろうか。あなたは甚だしく悪を行い、限りもなく不正を行ったのではないか」。
・「神があなたを責め、あなたを裁きの座に引き出されるのは、あなたが甚だしく悪を行い、限りもなく不正を行ったからではないか」と友人たちは邪推する。彼らはヨブの有罪の根拠を並び立てるが、実際にヨブが犯した罪ではなく、ヨブがかつて金持ちで人望があったことを、不正な方法で富を築き、名声を盗み取ったと邪推している。
-ヨブ記22:6-9「あなたは兄弟から質草を取って何も与えず、既に裸の人からなお着物をはぎ取った。渇き果てた人に水を与えず、飢えた人に食べ物を拒んだ。腕力を振るう者が土地をわがものとし、もてはやされている者がそこに住む。あなたはやもめに何も与えず追い払い、みなしごの腕を折った」。
・これは完全な言いがかりである。ヨブは隣人の着物をはぎ取ったり、孤児の腕を折ったことはなかった。しかし「そうしたに違いない」と決めつけられる。最近起こった脅迫メール誤認逮捕事件もそうである。他者がなりすまして本人のパソコンを操作し、脅迫メールを送り、誤認された本人が否定しても警察は認めようとせず、「おまえがやったに違いない」と決めつけられ、その結果裁判で有罪判決も受けた。思い込みの怖さである。
-ヨブ記22:10-11「だからこそあなたの周りには至るところに罠があり、突然の恐れにあなたはおびえる。また、暗黒に包まれて何も見えず、洪水があなたを覆う」。

2. 異端審問官のようなエリパズ

・エリパズは更に、「ヨブが神を侮る罪を犯した」と告発する。これもヨブが「悪人さえ栄えているではないか」と反論したことを取り上げて、それをヨブ自身の思想として非難している。ここに相手の言葉尻を捉えてさえも自分の主張の正しさを貫く原理主義の怖さがある。
-ヨブ記22:12-14「あなたは言う『神がいますのは高い天の上で、見よ、あのように高い星の群れの頭なのだ・・・神が何を知っておられるものか。濃霧の向こうから裁くことができようか。雲に遮られて見ることもできず、天の丸天井を行き来されるだけだ』と」。
・エリパズはヨブの言葉を逆手に取りながら、ヨブの罪を責め立て、その罪の結果与えられる神の裁きを述べる。
-ヨブ記22:15-20「あなたは昔からの道に、悪を行う者の歩んだ道に気をつけよ。彼らは時ならずして、取り去られ、流れがその基までぬぐい去った。神に向かって彼らは言っていた『ほうっておいてくれ、全能者と呼ばれる者に何ができる』。それに対してあなたは言った『神はその彼らの家を富で満たされる。神に逆らう者の考えはわたしから遠い』。神に従う人なら見抜いて喜び、罪のない人なら嘲笑って言うであろう『彼らの財産は確かに無に帰し、残ったものも火になめ尽くされる』」。
・最後にエリパズは言う「神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになるだろう」と。エリパズの言葉は原文では次のようになっている「神と一緒に利益を儲けよ。そうすれば君の収益は良いものになろう」。エリパズは「敬虔である」ことは「儲かる」と考えているのだ。ここに応報主義者の本音、あるいは世の信仰者の本音である、御利益信仰が見え隠れしている。
-ヨブ記22:21-27「神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになるだろう・・・もし、全能者のもとに立ち帰り、あなたの天幕から不正を遠ざけるなら、あなたは元どおりにしていただける。黄金を塵の中に、オフィルの金を川床に置くがよい。全能者こそがあなたの黄金、あなたにとっての最高の銀となり・・・あなたが祈れば聞き入れられ、満願の献げ物をすることもできるだろう」。
・エリパズはまるで異端審問官のようだ。彼は信仰のため、神のために戦っていると信じるが、実際は自分のために相手を糾弾している。ドストエフスキーの語る「カラマーゾフの兄弟・大審問官」は不気味だ。大審問官はやがてイエスさえも否定するようになる。
-カラマーゾフの兄弟から「異端を処刑する薪が燃えさかる16世紀スペインの町セビリアに、ある日キリストが現れた。彼は泣き叫ぶ母親のため、たちどころに死んだ女の子を蘇らせた。町の善男善女は、すわイエス様と色めき立ったが、この話を耳にした宗教裁判の責任者たる老大審問官は、ただちにイエスを捕縛し、牢獄に閉じこめさせた。そして深夜、密かに獄を訪れイエスをなじった『お前は人類に自由を与えたが、そのため人類がいかに苦しんだか知っているのか。お前は荒野で悪魔に試みられて、人はパンのみに生くるに非ずと答えた。あるいは我に従えば地上の栄華を悉くとらせようという申し出に対して、主なる神にのみつかえんと、すげない返事をした。この時お前は身をもって、良心の自由を人間どもに示したのだ・・・だがお前の人間どもはどうだ。この哀れな生物には自由や天上のパンよりも地上のパンが遙かに大事で、お前の言う自由のためにかえって困惑し、苦悶した。我々はお前の名のもとに、その彼らから自由を取り上げて、彼らの救済という大事業に着手し、すでにその完成を見ている。今頃お前が出てきては、彼らを再び苦しめるだけだ。明日は我々の仕事の妨害に来たお前を火あぶりにする』。大審問官の難詰に囚人イエスは終始沈黙を守っていた。だがついに立ち上がって、大審問官の血の気のない唇に静かに口づけした。大審問官はぎくりとした。彼は突然牢獄の扉を開け、『出ていけ、二度と来るな』と叫ぶ。囚人は静かに暗い巷へ消えていく」。

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