江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年9月26日祈祷会(箴言8:1-36,「知恵の勧め」(三))

投稿日:2019年8月21日 更新日:

・箴言第1章の冒頭で、すでに知恵は擬人化されています。8章では、それがさらに進化、知恵が「わたしは」と自ら一人称で知恵を語り、知恵を教えます。
−箴言8:1−3「知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか。高いところに登り、道のほとり、四つ角に立ち、城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている。」
・知恵は、人格を得た知恵は自由に行動し出没自在です。そのうえ、知恵は「わたしは指導者だ」と自称します。もう知恵に従うほかないでしょう。知恵は四つの徳、熟慮、反省、公平と、一つの不徳、背信を比べ愚か者を戒めます。
−箴言8:4−8『人よ、あなたたちに向かってわたしは呼びかける。人の子らに向かってわたしは声をあげる。浅はかな者は熟慮することを覚え、愚か者は反省することを覚えよ。聞け、わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き、公平について述べ、わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきこととし、わたしの口の言葉はすべて正しく、よこしまな曲がったことを含んでいない。」
・世の中の価値あるものと知恵を比べます。金銀を多く持つ者は世の勝者と言われます。しかし、銀よりも、純金よりも、真珠よりも価値があるのは知恵であると言われたら、あなたは認めますか。
−箴言8:9−11「理解力のある人には、それがすべて正しいと分かる。銀よりもむしろ、わたしの諭しをうけいれ、精選された金よりも、知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり、どのような財宝も比べることはできない。」
・知恵とは物事の理を立て、適切に判断し、処理できる能力です。知恵は知恵と併せ持つべき徳目を教えます。知恵の活用には欠かせぬ、それらを知恵に加えて、知恵を用いなければ、悪知恵となります。
−箴言8:12−16「わたしは知恵。熟慮と共に住まい、知識と慎重さを備えている。主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道、暴言をはく口を、わたしは憎む。わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。わたしによって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。君候、自由人、正しい裁きを行う人は皆、わたしによって治める。」
・知恵は知恵自ら、知恵の資質と目的を明らかにします。
−箴言8:17−21「わたしを愛する人をわたしも愛し、わたしを捜し求める人をわたしも見いだす。わたしのもとには冨と名誉があり、すぐれた財産と慈善がある。わたしの与える実りは、どのような金、純金にもまさり、わたしのもたらす収穫は、精選された銀にまさる。慈善の道をわたしは歩き、正義の道をわたしは進む。わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼の倉を満たす。」
・どれほどの賢者であっても、人間であれば、欠点があり、知恵を教えるには引け目があります。その点、知恵が知恵を教えるのであれば、なんの引け目もありません。完璧です。
−箴言8:22−26「主はその道の始めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた、深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられておらず、丘もなかったが、わたしは生みだされていた。大地も野も、地上の最初の塵も、まだ造られていなかった。」
・知恵は知恵の原点を明かします。
−箴言8:27−31「わたしはそこにいた、主が天をその位置に備え、深淵の面に輪を描いて境界とされたとき、主が上から雲に力をもたせ、深淵の源に勢いを与えられたとき、この原始の海に境界を定め、水が岸を越えないようにし、大地の基を定められたとき。御もとにあって、わたしは巧みな者となり、日々、主を楽しませる者となって、絶えず主の御前で樂を奏し、主の造られたこの地上の人々と共に樂を奏し、人の子らと共に楽しむ。」
・パウロはこの知恵の源を証ししています。
−?コリント2:6−8「しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、この世の支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちの栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」
・知恵は知恵の教えに聞き従う者と、従わぬ者を厳しく分別します。
−箴言8:32−36「さて、子らよ、わたしに聞き従え。わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか。諭しに聞き従って知恵を得よ。なおざりにしてはならない。わたしに聞きしたがう者、日々、わたしの扉をうかがい、戸口の柱を見守る者は、いかに幸いなことか。わたしを見いだす者は命を見いだし、主に迎えていただくことができる。わたしを見失う者は魂をそこなう。わたしを憎み者は死を愛する者。」」

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