江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2012年11月1日祈祷会(ヨブ記24章、神の沈黙)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1. 神に対するヨブの不信

・箴言は「神に従う者は幸いを得、神に逆らう者は災いを与えられる」という(箴言13:9)。ヨブも自分が苦難に遭う前はそう思っていた。しかしいざ自分が苦難になると同じような不条理な苦難に苦しむ人々の顔が見えてきた。この社会は「弱い者はますます貧しくされ、強い者のやり放題ではないか」とヨブは告発する。
-ヨブ記24:1-4「なぜ、全能者のもとには、さまざまな時が蓄えられていないのか。なぜ、神を愛する者が、神の日を見ることができないのか。人は地境を移し、家畜の群れを奪って自分のものとし、孤児のろばを連れ去り、やもめの牛を質草に取る。乏しい人々は道から押しのけられ、この地の貧しい人々は身を隠す」。
・貧しい人は貧しい故に土地を奪われ、小作人に落とされて食べるものもなく、夜の寒さに震えている。
-ヨブ記24:5-8「彼らは野ろばのように、荒れ野に出て労し、食べ物を求め、荒れ地で子に食べさせるパンを捜す。自分のものでもない畑で刈り入れをさせられ、悪人のぶどう畑で残った房を集める。着る物もなく裸で夜を過ごし、寒さを防ぐための覆いもない。山で激しい雨にぬれても、身を避ける所もなく、岩にすがる」。
・土地を無くした小作人は麦の刈り入れをしても自分では食えず、オリーブの油を絞っても自分では使えず、ぶどうを搾ってもそのお酒を飲むことも出来ない。
-ヨブ記24:9-11「父のない子は母の胸から引き離され、貧しい人の乳飲み子は人質に取られる。彼らは身にまとう物もなく、裸で歩き、麦束を運びながらも自分は飢え、オリーブの間で油を搾り、搾り場でぶどうを踏みながらも渇く」。
・飯嶋和一「出星前夜」を再読した。島原に疫病が発生し、幼児がつぎつぎに死んでゆくが、原因は飢餓による衰弱死だった。農民たちは島原藩・松倉家に年貢の減免や救助米の支給を申し出るが、藩は対応せず、死を覚悟した農民たち(多くは帰農した旧キリシタン武士たち)が一揆を起こした。騒乱は拡大し、3万人を超える農民たちが殺されていく。作者はこの小説の主題について言う「幕府の政策に従い、いったん信仰を捨てた人たちが、苛酷な環境のもと再び神を見出してゆく。宗教があったから一揆がおきたのではなく、社会問題に政治が機能しないためキリシタンとしての結集を招いた」。本の中で繰り返し語られる言葉がマルコ13章の終末預言である。
-マルコ13:7-8「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである」。

2. 神の沈黙

・人々が苦しみ、神を求めて叫んでも神は何もなさらない。この神の沈黙こそがヨブにとっても最大の問題だった。ヨブは無実を訴えてこれまで繰り返し神を呼び求めてきたのに、神は何の応答もされなかった。
-ヨブ記24:12「町では、死にゆく人々が呻き、刺し貫かれた人々があえいでいるが、神はその惨状に心を留めてくださらない」。
・遠藤周作「沈黙」の中で、迫害下の長崎に潜入した主人公ロドリゴは信徒が処刑され、同僚の修道士も殺される中で山に逃げ込むが、その山中でふと「神はおられないのではないか」とつぶやき、そのつぶやきに怯える。
-遠藤周作・沈黙から「その時、私はガルペと山に隠れていた時、夜、耳にした海鳴りの音を心に甦らせた・・・その海の波はモキチとイチゾウの死体を無関心に洗い続け、彼らの死の後にも同じ表情をしてあそこに拡がっている。そして神はその海と同じように黙っている。黙り続けている。「もし神がいなかったら」、杭にくくられ、波に洗われたモキチやイチゾウの人生は何と滑稽な劇だったのか、多くの海を渡ってこの国にたどり着いた宣教師たちは何という滑稽な幻影を見続けていたのか。そして今、山中を放浪している自分は何と滑稽な行為をしているのか」。
・ヨブもこのような苦しみの中にいた。彼は語り続ける「人殺しは夜の闇の中で犯罪をし、姦淫する者は闇の中で悪事を行う。しかしその悪事が露呈することはない」。
-ヨブ記24:14-17「人殺しは夜明け前に起き、貧しい者、乏しい者を殺し、夜になれば盗みを働く。姦淫する者の目は、夕暮れを待ち、だれにも見られないように、と言って顔を覆う。暗黒に紛れて家々に忍び入り、日中は閉じこもって、光を避ける。このような者には、朝が死の闇だ。朝を破滅の死の闇と認めているのだ」。
・人は言う「悪は滅びる」。しかしヨブは言う「本当にそうか、違うのではないか」と。
-ヨブ記24:19-25「暑さと乾燥が雪解け水をも消し去るように、陰府は罪人を消し去るだろう。母の胎も彼を忘れ、蛆が彼を好んで食い、彼を思い出す者もなくなる。不正な行いは木のように折れ砕ける・・・安穏に生かされているようでも、その歩む道に目を注いでおられる方がある。だから、しばらくは栄えるが、消え去る。すべて衰えてゆくものと共に倒され、麦の穂のように刈り取られるのだ。だが、そうなってはいないのだから、誰が、わたしをうそつきと呼び、わたしの言葉をむなしいものと断じることができようか」。

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