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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2011年6月30日祈祷会(エゼキエル30章、エジプトの裁き)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.エジプトへの第三の審判預言

・エゼキエル29〜32章はエジプトへの審判預言だ。それぞれの預言に日付が記してあり、17年間に為された預言を編集したものである。しかし30章1-19節の預言には日付がない。第二預言と同じだとすれば第二十七年(前567年)であり、バビロニア王ネブカドネザルがエジプトに侵略した時の預言だ。
−エゼキエル30:2-6「泣き叫べ、ああ、その日は災いだ。その日は近い。主の日は近い。それは密雲の日、諸国民の裁きの時である。剣がエジプトに臨み、戦慄がクシュを襲う。エジプトで、人々は刺されて倒れ、富は奪い去られ、国の基は覆される。クシュ、プト、リディア、諸種族の群れ、クブおよびその他の同盟国の住民も、彼らと共に剣で倒れる・・・エジプトを支える者は倒れ、その驕れる力は覆る。ミグドルからセベネに至るまで、人々は剣に倒れる」。
・主の裁きの日が来ればエジプトもその同盟国も倒れて行く。エジプトは前30世紀に最初の王国が形成され、古王国(前25世紀-20世紀)、中王国(前20世紀-15世紀)、新王国(前15世紀〜10世紀)と栄えてきたが、以降は周辺諸部族の侵略を受けるようになり、前605年エジプト王ネコがバビロニア軍に敗退した後、急速に国力が衰えた。
-エゼキエル30:9-12「荒れ果てた国々の中でも、エジプトの荒廃は甚だしく、荒れ廃れた町々の中でも、その町々は甚だしい廃虚となる・・・その日、私のもとから使者が船で出発し、安心しているクシュをおののかせる。エジプトの日に、戦慄が彼らを襲う・・・私はバビロンの王ネブカドレツァルの手によってエジプトの富を絶つ。彼とその軍隊、諸国の中で最も凶暴な軍隊が、この国を滅ぼすために動員される。彼らは剣を抜いてエジプトを攻め、この国を殺された者で満たす。私はナイル川を干上がらせ、この国を悪しき者たちの手に売り渡し、他国の人々によって、その地とその地を満たしているものを滅ぼし尽くす」。
・預言者はエジプト全土がネブカドネザルによって侵略されると預言し、主要都市の名を列挙する。実際の歴史ではエジプト全土を制圧したのは、バビロニアではなく、ペルシャであったが、前6世紀以降エジプトがもはや世界の強国になることはなかった。エゼキエルの預言通り、エジプトその役割を終え、以降は遺跡の国になった。
-エゼキエル30:13-18「私は偶像を打ち壊し、メンフィスから偽りの神々を絶つ。エジプトの国には、もはや支配者がいなくなる。私はエジプトの地に恐れを与える。私は上エジプトを滅ぼし、ツォアンに火を放ち、テーベに裁きを下す。また、わが憤りをエジプトの砦であるシンに注ぎ、テーベの富を絶つ。私はエジプトに火を放つ。シンは苦しみにもだえ、テーベは引き裂かれ、メンフィスは白昼、敵に襲われる。オンとピ・ベセトの若者たちは剣に倒れ、他の人々は捕囚として連れ去られる。私がテハフネヘスで、エジプトの軛を砕くとき、そこでは昼も暗くなり、その驕れる力は絶たれる。密雲が町を覆い、その娘たちも捕囚として連れ去られる」

2.エジプトへの第四の審判預言

・ 20節から第四の預言が語られる。第十一年(前587年)、エジプト王ホフラはエルサレムを囲むバビロニア軍と対決するために軍を送り、一時はバビロニア軍も撤退した。しかしエジプト軍はバビロニア軍に打ち破られ、撤退していく。
-エゼキエル30:20-24「第十一年の一月七日に、主の言葉が私に臨んだ『人の子よ、私はエジプトの王ファラオの腕を折った。見よ、彼の腕は手当てを受けて巻かれることなく、力を補う添え木を当てて巻かれることもないので、剣を取ることができない・・・私はエジプトの王ファラオに立ち向かい、その強い腕と折られた腕を共に打ち砕き、その手から剣を落とさせる。私はエジプトの人々を諸国民の中に散らし、国々の間に追いやる。私はバビロンの王の腕を強め、その手に剣を与える。私はファラオの腕を折る。彼はバビロンの王の前で、刺された者のように呻き声を発する』」。
・エルサレムの人々も捕囚民もバビロニア軍包囲の中で、エジプトの救援に望みをかけていた。その人々にエゼキエルは、「歴史の流れを変えることはできない、それは主が主導しておられるからだ」とエゼキエルは預言する。
-エゼキエル30:25-26「私はバビロンの王の腕を強くする。ファラオの腕は弱くなる。私がバビロンの王の手に剣を与え、彼がそれをエジプトの地に伸ばすとき、彼らは私が主であることを知るようになる。私がエジプトの人々を諸国民の中に散らし、国々の間に追いやるとき、彼らは私が主であることを知るようになる」。
・歴史が神の摂理の中にあることを信じる者は、世の不正や暴虐は裁かれていくことを信じる。それは熱狂の時代に冷静な、客観的な見通しを与える。矢内原忠雄はアッシリアへの裁きの預言(イザヤ10:12「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の驕った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる」)を読み、それを中国への侵略をやめない日本軍国主義への神の言葉と聞いて、「国家の理想」(1937年、昭和11年)としてまとめて、中央公論に発表した。「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」。日本は中国を懲らしめるための神の鞭、アッシリアに過ぎないのに、いつの間にか自分が神のように振舞い始めている、このような国は滅びると軍国化する日本の中で彼は発言できた。これが預言者の信仰だ。

*エゼキエル30章参考資料  東日本大震災「科学技術よ、おごるなかれ」宗教学者・山折哲雄 
(2011年04月06日朝日新聞 夕刊 )

・1000年に一度の大地震大津波と未曽有の原発危機に際会していま思いおこすのは、寺田寅彦と岡潔の言葉である。関東大震災を調査した寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったと伝えられる物理学者だが、1935(昭和10)年に「日本人の自然観」という文章を書いている。その年の暮れに世を去っているから、遺言のような気持ちで書いたのだろう。その中で、日本列島が何千年もの昔から自然の脅威にさらされてきたことを論じている。日本の自然環境はきわめて不安定であるが、その根本原因は地震と台風にあるという。そのため自然がひとたび荒れ狂うとき、日本列島に住む人々はその猛威の前に頭を垂れ、自然に反抗することをあきらめてきた。むしろその厳父のごとき自然から生活の知恵を学び、日常的な対策を立てて災害に備えるようになった。

・それだけではない。そのような生き方の中からいつのまにか「天然の無常」という感覚が育ち、自然の中にカミの声やヒトの気配を感ずるようになったのだと私は理解している。物理学者が自然の前に首を垂れて、天然の無常に聞き入っているのである。無常観は仏教以前からのものだ、といっているところが大切な点ではないだろうか。岡潔の場合はどうだったのか。昭和40年のことだが、文芸評論家の小林秀雄と対談しドキッとするようなことを語っている。彼は多変数解析関数論で世界の数学界に登場し、その業績で文化勲章を受章している。晩年は奈良に住んで、ほとんど孤高の研究生活をつづけていた。

・さて小林秀雄との対談であるが、それは「人間の建設」という広大なテーマをめぐるものであり、話題は多岐にわたっていた。その中で、とくに自然科学の命運にかんする彼の発言に私は驚かされた。「世に20世紀は理論物理学の時代だったというけれども、それならこの科学の王者はどんなことをやったのか。第一の仕事は「破壊」だった。原水爆の発明がそもそもそうだったではないか。それにたいして「破壊」に代わるべき「創造」を科学は何一つしてはいない。それからもう一つ、理論物理学をはじめとする自然科学がやったことが「機械的操作」だった」。

・なるほどと思わないわけにはいかない。工学的テクノロジーの異常な発達であり、それが今日の驚異的な「遺伝子操作」につながっていることは周知のことだ。この対談のときの岡潔によれば、自然科学は「葉緑素」一つ作ることができないのである。その真実性をいったい誰が疑うことができるだろう。もちろん私とて、科学技術の発達のおかげで人類がどれほどの恩恵を受けてきたのか、知らないわけではない。だが、右の二人の先覚者がその人生の晩年に主張していたことに、今あらためて胸をつかれる。「天然の無常」という認識の深さ、であり、科学技術の限界についてである。一言でいえばそれは、「科学技術よ、おごるなかれ」ということだったと思う。

* やまおり・てつお 1931年生まれ。東北大文学部で宗教学などを学び、同大助教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)の僧籍を持つ。

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